Original Love

发行时间:1988-07-31
发行公司:JALA JALA RECORDS ⁄ VIVID SOUND
简介:  ORIGINAL LOVE专辑介绍:ORIGINAL LOVE(オリジナル・ラヴ)は、1988年8月に発売されたORIGINAL LOVEのメジャー・デビュー以前のスタジオ・アルバム。   田島貴男がピチカート・ファイヴへの加入直後にリリースされたインディーズ盤。前身である“レッド・カーテン”を含め、それまでに2枚のオムニバス・アルバム[1][2]を通じて作品を発表してきたオリジナル・ラヴにとって、単独名義のフル・アルバムとしては最初の作品。メンバーは田島のほか村山孝志(Guitar) • 小里誠(Bass) • 秋山幸広(Drums)。      このアルバムについて後年田島は「もともとは僕がピチカート・ファイヴに加入することになったせいでオリジナル・ラヴとしてのレコードが出せなくなっちゃう、と。それで記念にってことで、とりあえず作ったアルバムなんです。録音なんか楽器ごとにあちこちでやって。機材も最低だったし。デモ・テープの寄せ集めに毛が生えたようなもんですよ。オリジナル・ラヴのサウンドとしては、むしろこれ以前の時期のほうが面白かったんです。その頃のライブ・テープとかも出回っていて、そっちのほうがクオリティは高いかもしれない。このアルバム、今となってはちょっと胸の奥にしまっておきたいようなものですね、僕にとっては」[3]という。      このアルバムが制作されるに至るまで、オリジナル・ラヴはその音楽性を幾度か変化させてきたが、その経緯について田島は「そもそもレッド・カーテンを作ったきっかけっていうのは、自分の曲がたくさん出来ちゃってたから、それを発露したかったんです。具体的に“どういう音楽をやりたいんだ?”ってヴィジョンはなかったんだけど…オリジナル・ラヴもそうなんだけど…レッド・カーテンをやることによって“ポップな音楽っていうのは、どういう音楽なんだろう?”っていうことを探していきたかったっていうか、そんなことをやってた気がしますね」「だからなのか、僕たちがやってたことは、その当時からどこにも入らないような感じでしたね。当時“ネオGS”って呼ばれているバンドたちがあって、結構盛り上がってたんですよ。僕らも彼らが作ったコンピ盤[1]に参加したから、そういった人たちとのくくりで見られることも多かったけど、ネオGSをやっているっていう意識はやっぱりなかったな。ヘンなニュー・ウェーブっていうか、聴きようによっちゃあ、サイケにも聴こえるし、モノクローム・セットっちゃあモノクローム・セットとも言える、煮え切らないサウンドだったんじゃないですかね」「で、'88年にバンド名がレッド・カーテンからオリジナル・ラヴに変わるのかな? バンド名を変えるにあたって特に気持ちの変化はなかったけど、やりたい音楽は少しずつ変わってきてたんですよ。レッド・カーテンの頃はビートバンドみたいな感じが強かったけど、その頃からそうじゃない感じの音楽をやりたいと思い始めてて。ビッグバンド・ジャズとかジャイヴ・ミュージックとか。つまりポップミュージックのルーツですよね。それはロックンロールのルーツって言い換えてもいいんですけど、そのルーツを辿るっていうのは当時からやってたんです。チャック・ベリーであったり、ルイ・ジョーダンであったり。デビュー当時まで“キャブ・キャロウェイになりたい、ルイ・ジョーダンになりたい”って気持ちはずっと続いてましたね」「'85年から5~6年間はブラック・ミュージックにどっぷりハマってた時期。ずーっとブラック・ミュージックばっかり聴いてた。その頃はソウル・ミュージックが好きになってソウルっぽい曲を書こうとするんだけど、どうやって書いたらいいかわかんなくて。まず、グルーヴっていうのをどういうふうに出していいか、さっぱりわからない。だってその前までは、パンクの圧縮されたような8ビートがビートの本質だと思ってたのに、突然それが“横揺れで…”とか“ここでタメて…”みたいなことになってるわけだからね。“2拍目をタメるのか? 3拍目をタメるのか”とか、そういうことで悩んでましたよ。それは自分にとって大きな変化でしたね」[4]と答えている。この発言を裏付けるように、A-3、B-4は後にメジャーデビュー・アルバム『LOVE! LOVE! & LOVE!』[5]にも収録されるが、アレンジが大きく変更されたほか、は『MINT SOUND'S CHRISTMAS ALBUM』[2]収録のものと同じ。      は、後にベスト・アルバム『変身』[6]にも収録されたほか、
  ORIGINAL LOVE专辑介绍:ORIGINAL LOVE(オリジナル・ラヴ)は、1988年8月に発売されたORIGINAL LOVEのメジャー・デビュー以前のスタジオ・アルバム。   田島貴男がピチカート・ファイヴへの加入直後にリリースされたインディーズ盤。前身である“レッド・カーテン”を含め、それまでに2枚のオムニバス・アルバム[1][2]を通じて作品を発表してきたオリジナル・ラヴにとって、単独名義のフル・アルバムとしては最初の作品。メンバーは田島のほか村山孝志(Guitar) • 小里誠(Bass) • 秋山幸広(Drums)。      このアルバムについて後年田島は「もともとは僕がピチカート・ファイヴに加入することになったせいでオリジナル・ラヴとしてのレコードが出せなくなっちゃう、と。それで記念にってことで、とりあえず作ったアルバムなんです。録音なんか楽器ごとにあちこちでやって。機材も最低だったし。デモ・テープの寄せ集めに毛が生えたようなもんですよ。オリジナル・ラヴのサウンドとしては、むしろこれ以前の時期のほうが面白かったんです。その頃のライブ・テープとかも出回っていて、そっちのほうがクオリティは高いかもしれない。このアルバム、今となってはちょっと胸の奥にしまっておきたいようなものですね、僕にとっては」[3]という。      このアルバムが制作されるに至るまで、オリジナル・ラヴはその音楽性を幾度か変化させてきたが、その経緯について田島は「そもそもレッド・カーテンを作ったきっかけっていうのは、自分の曲がたくさん出来ちゃってたから、それを発露したかったんです。具体的に“どういう音楽をやりたいんだ?”ってヴィジョンはなかったんだけど…オリジナル・ラヴもそうなんだけど…レッド・カーテンをやることによって“ポップな音楽っていうのは、どういう音楽なんだろう?”っていうことを探していきたかったっていうか、そんなことをやってた気がしますね」「だからなのか、僕たちがやってたことは、その当時からどこにも入らないような感じでしたね。当時“ネオGS”って呼ばれているバンドたちがあって、結構盛り上がってたんですよ。僕らも彼らが作ったコンピ盤[1]に参加したから、そういった人たちとのくくりで見られることも多かったけど、ネオGSをやっているっていう意識はやっぱりなかったな。ヘンなニュー・ウェーブっていうか、聴きようによっちゃあ、サイケにも聴こえるし、モノクローム・セットっちゃあモノクローム・セットとも言える、煮え切らないサウンドだったんじゃないですかね」「で、'88年にバンド名がレッド・カーテンからオリジナル・ラヴに変わるのかな? バンド名を変えるにあたって特に気持ちの変化はなかったけど、やりたい音楽は少しずつ変わってきてたんですよ。レッド・カーテンの頃はビートバンドみたいな感じが強かったけど、その頃からそうじゃない感じの音楽をやりたいと思い始めてて。ビッグバンド・ジャズとかジャイヴ・ミュージックとか。つまりポップミュージックのルーツですよね。それはロックンロールのルーツって言い換えてもいいんですけど、そのルーツを辿るっていうのは当時からやってたんです。チャック・ベリーであったり、ルイ・ジョーダンであったり。デビュー当時まで“キャブ・キャロウェイになりたい、ルイ・ジョーダンになりたい”って気持ちはずっと続いてましたね」「'85年から5~6年間はブラック・ミュージックにどっぷりハマってた時期。ずーっとブラック・ミュージックばっかり聴いてた。その頃はソウル・ミュージックが好きになってソウルっぽい曲を書こうとするんだけど、どうやって書いたらいいかわかんなくて。まず、グルーヴっていうのをどういうふうに出していいか、さっぱりわからない。だってその前までは、パンクの圧縮されたような8ビートがビートの本質だと思ってたのに、突然それが“横揺れで…”とか“ここでタメて…”みたいなことになってるわけだからね。“2拍目をタメるのか? 3拍目をタメるのか”とか、そういうことで悩んでましたよ。それは自分にとって大きな変化でしたね」[4]と答えている。この発言を裏付けるように、A-3、B-4は後にメジャーデビュー・アルバム『LOVE! LOVE! & LOVE!』[5]にも収録されるが、アレンジが大きく変更されたほか、は『MINT SOUND'S CHRISTMAS ALBUM』[2]収録のものと同じ。      は、後にベスト・アルバム『変身』[6]にも収録されたほか、