1976年、シングル「冥想」で東芝EMIよりデビュー。芸名の「亜美」はフランス語で「友人」を意味する「ami(amie)」に由来する。尾崎自身は、当初は本名でのデビューを望んでいたが、過去に同じ「美鈴」名の歌手のプロモートに失敗していた関係者に説得されたらしい。同年松任谷正隆プロデュースでアルバム『SHADY』を発表、ポスト・ユーミンの最右翼と呼ばれる。同年発表されたユーミン本人のアルバム『14番目の月』にコーラスとして参加。   1977年、3rdシングル「マイ・ピュア・レディ」が資生堂のCMに起用されヒット(オリコン・シングルチャート:最高位4位)、一躍注目を浴びる。また、3月末から翌年3月末までラジオ「オールナイトニッポン」木曜日(金曜未明)第2部を担当している(なお、78年2月9日~3月23日までの放送は体調不良・入院のため休演し、3月30日に最終回として出演)。   1978年、南沙織に「春の予感‐I've been mellow‐」(資生堂CM曲、東京音楽祭ゴールデンカナリー賞作詞賞受賞)、杏里に「オリビアを聴きながら」、高橋真梨子に「あなたの空を翔びたい」等をそれぞれ提供した。尚「春の予感‐I've been mellow‐」は編曲も担当し、同年発表の3rdアルバム『ストップモーション』からは自身でプロデュースも手がけるようになる。   1980年、レコード会社をキャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)に移籍、同年移籍第1弾シングル「21世紀のシンデレラ」(オリコン・シングルチャート:最高位56位)、アルバム『MERIDIAN-MELON』を発表する。   1981年、デイヴィッド・フォスターの編曲・TOTOのメンバー参加により、ロサンゼルスで録音された『HOT BABY』、同じくデイヴィッド・フォスターの編曲により、彼が連れてきたマイケル・ランドウらの腕利きミュージシャンによる国内録音の『Air Kiss』など、この年に2枚のアルバムを発表した。   1983年、 小説「イノセント〜箱〜」を講談社より出版。   1985年、アルバム『10番目のミュー』で第27回日本レコード大賞優秀アルバム賞受賞。また、「パピ」という名前で日清焼きそばU.F.O.のCM曲「Wuper Dancing」発表している。   1988年、第9回日本作曲賞『優秀作曲者賞』受賞。   1989年、尾崎亜美としては一時休業を宣言。「桃姫」という名前でシングル「桃源郷(PEACH PARADISE)からコンニチハ」(サントリーフルーツリキュール「ミス・ピーチ」CM曲)を発表。   1990年、活動を再開し、第1弾シングル「Endless Dream」を発表。   翌年3月にシングル「Southern Cross」と活動再開第1弾アルバム『Natural Agency』を同時リリース。また、1980年代にポニキャンより発表されたオリジナルアルバムの再発売盤も同時にリリースされた。 同年7月、ディズニーの長編アニメーション作品「オリバー ニューヨーク子猫ものがたり」の日本語版吹き替えでリタ役を担当(劇中歌「Streets of Gold」も歌唱)。   1992年には「桃姫BAND」を結成(メンバー:鈴木茂、佐藤準、松武秀樹、小原礼、今剛、富田素弘、山木秀夫)し、シングル「Heart of Glass」(ブロンディ「ハート・オブ・グラス」のカバー。ノエビア・コスメティックルネッサンスCM曲)とカバーアルバム『初陣』発表。同年、平松愛理、崎谷健次郎と共に“HIRA^O SAKI”というスペシャルユニットを結成し、シングル・アルバム『My Best Friends』を発表。翌年には再び桃姫BANDとして映画「教祖誕生」主題歌の「神様お願い」(テンプターズ「神様お願い」のカバー)を発表している。   1997年、東芝EMIに復帰。また、元サディスティック・ミカ・バンドのベーシスト小原礼と結婚する。結婚式の時、牧師が欠席のため、聖飢魔IIのデーモン小暮が司式をする。   1998年、第5回日本プロ音楽録音大賞『ポップ・ロック部門大賞』を「Joyful Joyful」(アルバム『SPECIAL』収録)で受賞。   2000年、鈴木茂、小原礼とユニット「The DELTA-WING」を結成。アルバム『THE DELTA-WING I』を発表。   2001年、デビュー25周年を迎え、それを記念に東芝EMI・ポニーキャニオンよりベスト・アルバム『Amii-versary』と、幅広い交友を示すように細野晴臣、高橋幸宏、大貫妙子、杏里、奥田民生、福山雅治、デーモン小暮閣下等をゲストに迎え制作されたアルバム『Amii-Phonic』(フォーライフレコード)を同時リリース。   2002年、宇崎竜童率いる新竜童組のメンバーとして曽根崎心中ROCKに参加。キーボードとお初役を担当する。また、ファン投票により選ばれた楽曲をピアノ弾き語りで披露したアルバム『PIA NOIR』をBMGファンハウス(現:アリオラジャパン)より発表。   2004年、コロムビアミュージックエンタテインメント(現:日本コロムビア)に移籍し、アルバム『おもてなし。』を発表。   2005年には女子サッカーなでしこリーグのチームTEPCOマリーゼのオフィシャルソング「戦う翼」を発表した。   2006年、デビュー30周年を迎える。2月22日、記念アルバム『三重マル』を発表。同日、クラシックの殿堂として知られる東京文化会館の小ホールで行われた『Popular Week LIVE in 東京文化会館』に出演し、これが同会館45年目にして初のポピュラー音楽のステージとなる。また、4月から9月まで、大阪放送(ラジオ大阪)「Music Cafe いいおとな」金曜を担当した。   2007年、プロ並みの料理の腕前を生かし、料理本「尾崎亜美のうちごはん」を講談社より出版。8月7日、自身初のホテルでのディナーライブに出演(グランドプリンスホテル赤坂)。9月23日、伊勢正三プロデュースの秋フェス、大山ミュージックリゾート in花回廊2007(とっとり花回廊)に、夫の小原礼と共に出演。   2008年、北名古屋市の委嘱により「北名古屋音頭」を制作、自らの歌唱による録音も行われ、市役所でCDが有料頒布された。8月にはキリンビール「秋味」のCMソング(曲名不明)を発表した。   2009年、4月オフィシャルサイトオープンと同時にブログも開始。また、BS11にて夫の小原礼とともに案内役を務める音楽番組『MUSICA〜音のおもてなし〜』も開始(2012年3月まで)。さらに29日にはソニーからセルフカバーアルバム『ReBORN』を発表。これに先立つ22日には初期東芝EMI時代のアルバム5作が紙ジャケで再発、レコード会社跨りのベスト盤と提供曲集の2枚組『Amii In The Box』の発売と、空前のCDリリースラッシュとなる。   2011年、デビュー35周年を迎える。NHK「ラジオ深夜便」の7月 - 9月「深夜便のうた」として「愛のはじまり」を制作、番組内で放送されるとともに独自レーベルBABOO BABE RECORDSより9月21日シングルとして発売(通信販売とライブ会場のみ限定発売)。   2012年、テイチクエンタテインメントへ移籍し2月22日、35周年記念アルバム『soup』を発表。36周年の直前の発表となったのは、東日本大震災の発災を受けて既に制作途上だったアルバムの構想を見直し、新たな曲の追加制作などを行ったためという。   2013年、音楽と食のコラボレーション企画「しあわせな食卓」をホテルグリーンプラザ全国5カ所で開催。ライブと食事及び宿泊がセットになった企画で、ライブ前の食事には尾崎亜美レシピによる料理も提供された。また2014年にかけてポニーキャニオン時代のアルバムのうちLPレコード盤で発売された13作品が紙ジャケで再発された。   2016年、デビュー40周年を記念したベストアルバム「My Songs for You 尾崎亜美 40th Anniversary BEST」と、オリジナルアルバム「S-mile 40th Amii-versary」を発売。 記念コンサートを東名阪で行う。   2019年2月6日、Twitterアカウント(@amii_ozaki)でツイートを开始。この日からの累积日数や日々の様子などを投稿している。   2019年3月、南佳孝とジョイントコンサートを行った。
  1976年、シングル「冥想」で東芝EMIよりデビュー。芸名の「亜美」はフランス語で「友人」を意味する「ami(amie)」に由来する。尾崎自身は、当初は本名でのデビューを望んでいたが、過去に同じ「美鈴」名の歌手のプロモートに失敗していた関係者に説得されたらしい。同年松任谷正隆プロデュースでアルバム『SHADY』を発表、ポスト・ユーミンの最右翼と呼ばれる。同年発表されたユーミン本人のアルバム『14番目の月』にコーラスとして参加。   1977年、3rdシングル「マイ・ピュア・レディ」が資生堂のCMに起用されヒット(オリコン・シングルチャート:最高位4位)、一躍注目を浴びる。また、3月末から翌年3月末までラジオ「オールナイトニッポン」木曜日(金曜未明)第2部を担当している(なお、78年2月9日~3月23日までの放送は体調不良・入院のため休演し、3月30日に最終回として出演)。   1978年、南沙織に「春の予感‐I've been mellow‐」(資生堂CM曲、東京音楽祭ゴールデンカナリー賞作詞賞受賞)、杏里に「オリビアを聴きながら」、高橋真梨子に「あなたの空を翔びたい」等をそれぞれ提供した。尚「春の予感‐I've been mellow‐」は編曲も担当し、同年発表の3rdアルバム『ストップモーション』からは自身でプロデュースも手がけるようになる。   1980年、レコード会社をキャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)に移籍、同年移籍第1弾シングル「21世紀のシンデレラ」(オリコン・シングルチャート:最高位56位)、アルバム『MERIDIAN-MELON』を発表する。   1981年、デイヴィッド・フォスターの編曲・TOTOのメンバー参加により、ロサンゼルスで録音された『HOT BABY』、同じくデイヴィッド・フォスターの編曲により、彼が連れてきたマイケル・ランドウらの腕利きミュージシャンによる国内録音の『Air Kiss』など、この年に2枚のアルバムを発表した。   1983年、 小説「イノセント〜箱〜」を講談社より出版。   1985年、アルバム『10番目のミュー』で第27回日本レコード大賞優秀アルバム賞受賞。また、「パピ」という名前で日清焼きそばU.F.O.のCM曲「Wuper Dancing」発表している。   1988年、第9回日本作曲賞『優秀作曲者賞』受賞。   1989年、尾崎亜美としては一時休業を宣言。「桃姫」という名前でシングル「桃源郷(PEACH PARADISE)からコンニチハ」(サントリーフルーツリキュール「ミス・ピーチ」CM曲)を発表。   1990年、活動を再開し、第1弾シングル「Endless Dream」を発表。   翌年3月にシングル「Southern Cross」と活動再開第1弾アルバム『Natural Agency』を同時リリース。また、1980年代にポニキャンより発表されたオリジナルアルバムの再発売盤も同時にリリースされた。 同年7月、ディズニーの長編アニメーション作品「オリバー ニューヨーク子猫ものがたり」の日本語版吹き替えでリタ役を担当(劇中歌「Streets of Gold」も歌唱)。   1992年には「桃姫BAND」を結成(メンバー:鈴木茂、佐藤準、松武秀樹、小原礼、今剛、富田素弘、山木秀夫)し、シングル「Heart of Glass」(ブロンディ「ハート・オブ・グラス」のカバー。ノエビア・コスメティックルネッサンスCM曲)とカバーアルバム『初陣』発表。同年、平松愛理、崎谷健次郎と共に“HIRA^O SAKI”というスペシャルユニットを結成し、シングル・アルバム『My Best Friends』を発表。翌年には再び桃姫BANDとして映画「教祖誕生」主題歌の「神様お願い」(テンプターズ「神様お願い」のカバー)を発表している。   1997年、東芝EMIに復帰。また、元サディスティック・ミカ・バンドのベーシスト小原礼と結婚する。結婚式の時、牧師が欠席のため、聖飢魔IIのデーモン小暮が司式をする。   1998年、第5回日本プロ音楽録音大賞『ポップ・ロック部門大賞』を「Joyful Joyful」(アルバム『SPECIAL』収録)で受賞。   2000年、鈴木茂、小原礼とユニット「The DELTA-WING」を結成。アルバム『THE DELTA-WING I』を発表。   2001年、デビュー25周年を迎え、それを記念に東芝EMI・ポニーキャニオンよりベスト・アルバム『Amii-versary』と、幅広い交友を示すように細野晴臣、高橋幸宏、大貫妙子、杏里、奥田民生、福山雅治、デーモン小暮閣下等をゲストに迎え制作されたアルバム『Amii-Phonic』(フォーライフレコード)を同時リリース。   2002年、宇崎竜童率いる新竜童組のメンバーとして曽根崎心中ROCKに参加。キーボードとお初役を担当する。また、ファン投票により選ばれた楽曲をピアノ弾き語りで披露したアルバム『PIA NOIR』をBMGファンハウス(現:アリオラジャパン)より発表。   2004年、コロムビアミュージックエンタテインメント(現:日本コロムビア)に移籍し、アルバム『おもてなし。』を発表。   2005年には女子サッカーなでしこリーグのチームTEPCOマリーゼのオフィシャルソング「戦う翼」を発表した。   2006年、デビュー30周年を迎える。2月22日、記念アルバム『三重マル』を発表。同日、クラシックの殿堂として知られる東京文化会館の小ホールで行われた『Popular Week LIVE in 東京文化会館』に出演し、これが同会館45年目にして初のポピュラー音楽のステージとなる。また、4月から9月まで、大阪放送(ラジオ大阪)「Music Cafe いいおとな」金曜を担当した。   2007年、プロ並みの料理の腕前を生かし、料理本「尾崎亜美のうちごはん」を講談社より出版。8月7日、自身初のホテルでのディナーライブに出演(グランドプリンスホテル赤坂)。9月23日、伊勢正三プロデュースの秋フェス、大山ミュージックリゾート in花回廊2007(とっとり花回廊)に、夫の小原礼と共に出演。   2008年、北名古屋市の委嘱により「北名古屋音頭」を制作、自らの歌唱による録音も行われ、市役所でCDが有料頒布された。8月にはキリンビール「秋味」のCMソング(曲名不明)を発表した。   2009年、4月オフィシャルサイトオープンと同時にブログも開始。また、BS11にて夫の小原礼とともに案内役を務める音楽番組『MUSICA〜音のおもてなし〜』も開始(2012年3月まで)。さらに29日にはソニーからセルフカバーアルバム『ReBORN』を発表。これに先立つ22日には初期東芝EMI時代のアルバム5作が紙ジャケで再発、レコード会社跨りのベスト盤と提供曲集の2枚組『Amii In The Box』の発売と、空前のCDリリースラッシュとなる。   2011年、デビュー35周年を迎える。NHK「ラジオ深夜便」の7月 - 9月「深夜便のうた」として「愛のはじまり」を制作、番組内で放送されるとともに独自レーベルBABOO BABE RECORDSより9月21日シングルとして発売(通信販売とライブ会場のみ限定発売)。   2012年、テイチクエンタテインメントへ移籍し2月22日、35周年記念アルバム『soup』を発表。36周年の直前の発表となったのは、東日本大震災の発災を受けて既に制作途上だったアルバムの構想を見直し、新たな曲の追加制作などを行ったためという。   2013年、音楽と食のコラボレーション企画「しあわせな食卓」をホテルグリーンプラザ全国5カ所で開催。ライブと食事及び宿泊がセットになった企画で、ライブ前の食事には尾崎亜美レシピによる料理も提供された。また2014年にかけてポニーキャニオン時代のアルバムのうちLPレコード盤で発売された13作品が紙ジャケで再発された。   2016年、デビュー40周年を記念したベストアルバム「My Songs for You 尾崎亜美 40th Anniversary BEST」と、オリジナルアルバム「S-mile 40th Amii-versary」を発売。 記念コンサートを東名阪で行う。   2019年2月6日、Twitterアカウント(@amii_ozaki)でツイートを开始。この日からの累积日数や日々の様子などを投稿している。   2019年3月、南佳孝とジョイントコンサートを行った。
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