3歳の時ピアノを始める。父親の勤める大学の教員官舎で幼少時代を過ごす。隣人のピアノ教授(八重口敬子)にピアノを習い始める。官舎が町から離れた森の中にあった為、幼い頃「世界の全ての人が音楽家か絵描き」だと思っていた。
父親は愛知県立芸術大学学長、愛知県陶磁美術館館長、長久手市文化の家館長を勤めた。母親は絵本作家。弟は彫刻家。5歳年上の兄がいたが、生後間もなく死去。 4歳の時、父親の学術研究の為1年間ドイツのボンで過ごす。ドイツ滞在中、父親が運転する自家用車で一家揃ってドイツからフランスを通ってスペインまでを往復する。その時のスペインでの強烈な記憶が後のスペイン行きへの決断に繋がったと本人は話している。日本に帰国。長久手小学校・長久手中学校時代は漫画ばかりを描いていたが、両親に「絵の才能がない」と言われて諦める。
愛知県立明和高等学校(音楽科)に入学。西典代に師事。高校卒業と同時にドイツへ移り、同年ミュンヘン国立音楽大学ピアノ科に入学。クラウス・シルデ教授、ミヒャエル・シェーファー教授に師事。ミヒャエル・シェーファーの最初の弟子となる。在学中ドイツ語通訳の資格を取得。国家演奏資格取得。 卒業後、ハノーファー国立音楽大学大学院ピアノ科の入学試験に合格するも、自分の探している音楽がスペインに行けば見つかるかもしれないという直感を感じて入学を辞退。単独でスペインへ渡る。到着直後、泥棒に全財産を盗まれ一文無しとなる。しかし、 スペインの人々とフラメンコに魅了されマドリードで暮らす。同年、マドリッド国立音楽院に入学。フリアン・ロペス・ヒメノ教授に師事。「在学中はフラメンコとラテンジャズを聴いて明け暮れてクラシック音楽は殆どそっちのけだった」。
キューバ人グラミーピアニスト、チューチョ・バルデスとの出逢いをきっかけに卒業後キューバに移り住む。ハバナ市のISA(国立高等芸術学院INSTITUTO SUPERIOR DE ARTE)やキューバ・カマグエイ市の国立音楽学校で特別講師として教鞭をとる傍ら、ラテンジャズを学び1998年に帰国。その後も一年の半分以上は中南米やヨーロッパ、アジア、アフリカなどを放浪。2012年からマドリードと京都を拠点に活動している。
≪活動の特色≫
サンティアゴ大聖堂、コルドバ・メスキータ、京都清水寺など、世界中の名だたる歴史的建造物でリサイタルをする経緯を持つ。
通常、宗教曲以外の演奏が下りないコルドバ市のメスキータで「ソナタ侍」が祈りの曲として異例の演奏許可を得る。2014年3月11日に行われたコンサートはメスキータのホームページからインターネットストリーミングで全世界に配信された。
キリスト教世界3大聖地の一つ、世界遺産サンティアゴ大聖堂では2013年と2014年に2度リサイタルを開催。2013年7月25日のコンサートでは日本の皇太子殿下、ガリシア州知事、大司教が臨席。
その他、世界遺産スペイン巡礼の道上にある聖堂でのコンサート(ルーゴ市 サンタマリア聖堂、オウレンセ市 サンマルティン聖堂など)でのコンサートを行う。 キリスト教、仏教等の宗教的建造物での演奏会を多く行うが、川上ミネはどの宗教にも帰依していない。
≪日本スペイン交流400年≫
1613年に仙台藩士支倉常長が伊達政宗の命を受けてスペインに到着した年から400年にあたる2013年、日本とスペインの間で交流を記念する国歌事業行事が2国間の間で執り行われた。
川上ミネはこの交流年の公式ピアニストとして、外務省の依頼を受けてテーマ曲を作曲、演奏。マドリッド王立劇場にて日本皇太子殿下と現スペイン国王夫妻が出席する開会式にて演奏を行う。また2014年の閉会式も川上ミネがテーマ曲を作曲し同マドリッド王立劇場で演奏会を行った。芸術監督、脚本、オーケストラ曲の編曲も本人が行う。
開会式は支倉常長の日本からスペインまでの旅をピアノ曲で描いた劇曲。特別ゲストとして、今井翼、竹下景子(女優)、ミゲル•ポヴェダ(フラメンコ歌手)、小島章二(舞踏家)、バルビエリ交響楽団が出演。スペイン国営放送がコンサートの模様を放映。NHKが特別番組をNHK総合で放映。
閉会式は、支倉常長がスペインから日本に戻って今日までをピアノ曲で描いた劇曲。特別ゲストとして、カニサレス(フラメンコギタリスト)、盛かおる(ソプラノ歌手)、サンタマリア合唱団、マドリッド日本人学校、補習校生徒。
3歳の時ピアノを始める。父親の勤める大学の教員官舎で幼少時代を過ごす。隣人のピアノ教授(八重口敬子)にピアノを習い始める。官舎が町から離れた森の中にあった為、幼い頃「世界の全ての人が音楽家か絵描き」だと思っていた。
父親は愛知県立芸術大学学長、愛知県陶磁美術館館長、長久手市文化の家館長を勤めた。母親は絵本作家。弟は彫刻家。5歳年上の兄がいたが、生後間もなく死去。 4歳の時、父親の学術研究の為1年間ドイツのボンで過ごす。ドイツ滞在中、父親が運転する自家用車で一家揃ってドイツからフランスを通ってスペインまでを往復する。その時のスペインでの強烈な記憶が後のスペイン行きへの決断に繋がったと本人は話している。日本に帰国。長久手小学校・長久手中学校時代は漫画ばかりを描いていたが、両親に「絵の才能がない」と言われて諦める。
愛知県立明和高等学校(音楽科)に入学。西典代に師事。高校卒業と同時にドイツへ移り、同年ミュンヘン国立音楽大学ピアノ科に入学。クラウス・シルデ教授、ミヒャエル・シェーファー教授に師事。ミヒャエル・シェーファーの最初の弟子となる。在学中ドイツ語通訳の資格を取得。国家演奏資格取得。 卒業後、ハノーファー国立音楽大学大学院ピアノ科の入学試験に合格するも、自分の探している音楽がスペインに行けば見つかるかもしれないという直感を感じて入学を辞退。単独でスペインへ渡る。到着直後、泥棒に全財産を盗まれ一文無しとなる。しかし、 スペインの人々とフラメンコに魅了されマドリードで暮らす。同年、マドリッド国立音楽院に入学。フリアン・ロペス・ヒメノ教授に師事。「在学中はフラメンコとラテンジャズを聴いて明け暮れてクラシック音楽は殆どそっちのけだった」。
キューバ人グラミーピアニスト、チューチョ・バルデスとの出逢いをきっかけに卒業後キューバに移り住む。ハバナ市のISA(国立高等芸術学院INSTITUTO SUPERIOR DE ARTE)やキューバ・カマグエイ市の国立音楽学校で特別講師として教鞭をとる傍ら、ラテンジャズを学び1998年に帰国。その後も一年の半分以上は中南米やヨーロッパ、アジア、アフリカなどを放浪。2012年からマドリードと京都を拠点に活動している。
≪活動の特色≫
サンティアゴ大聖堂、コルドバ・メスキータ、京都清水寺など、世界中の名だたる歴史的建造物でリサイタルをする経緯を持つ。
通常、宗教曲以外の演奏が下りないコルドバ市のメスキータで「ソナタ侍」が祈りの曲として異例の演奏許可を得る。2014年3月11日に行われたコンサートはメスキータのホームページからインターネットストリーミングで全世界に配信された。
キリスト教世界3大聖地の一つ、世界遺産サンティアゴ大聖堂では2013年と2014年に2度リサイタルを開催。2013年7月25日のコンサートでは日本の皇太子殿下、ガリシア州知事、大司教が臨席。
その他、世界遺産スペイン巡礼の道上にある聖堂でのコンサート(ルーゴ市 サンタマリア聖堂、オウレンセ市 サンマルティン聖堂など)でのコンサートを行う。 キリスト教、仏教等の宗教的建造物での演奏会を多く行うが、川上ミネはどの宗教にも帰依していない。
≪日本スペイン交流400年≫
1613年に仙台藩士支倉常長が伊達政宗の命を受けてスペインに到着した年から400年にあたる2013年、日本とスペインの間で交流を記念する国歌事業行事が2国間の間で執り行われた。
川上ミネはこの交流年の公式ピアニストとして、外務省の依頼を受けてテーマ曲を作曲、演奏。マドリッド王立劇場にて日本皇太子殿下と現スペイン国王夫妻が出席する開会式にて演奏を行う。また2014年の閉会式も川上ミネがテーマ曲を作曲し同マドリッド王立劇場で演奏会を行った。芸術監督、脚本、オーケストラ曲の編曲も本人が行う。
開会式は支倉常長の日本からスペインまでの旅をピアノ曲で描いた劇曲。特別ゲストとして、今井翼、竹下景子(女優)、ミゲル•ポヴェダ(フラメンコ歌手)、小島章二(舞踏家)、バルビエリ交響楽団が出演。スペイン国営放送がコンサートの模様を放映。NHKが特別番組をNHK総合で放映。
閉会式は、支倉常長がスペインから日本に戻って今日までをピアノ曲で描いた劇曲。特別ゲストとして、カニサレス(フラメンコギタリスト)、盛かおる(ソプラノ歌手)、サンタマリア合唱団、マドリッド日本人学校、補習校生徒。