小档案      TERU(内村テル)   ウッチャンナンチャン・内村光良(プロデューサー、リーダー、キーボード)   CHIAKI(坂本千秋)   千秋(ボーカル)   UDO(独活野大木(うどのたいぼく))   キャイ〜ン・ウド鈴木(ギター、エレクトリックドラム)   ウリナリ以外の番組では、3人そろって番組出演することは滅多にない。         大事件      1995年11月結成。Mckee(マッキー)のおまけ扱いでフィリピンでデビュー。1996年4月17日に日本でCDデビュー。おまけ扱いだったがなぜか勝利し、看板アーティスト化した。初めは、内村は「このユニットでやりたくない。」と言っていた。内村は適当にキーボードを叩いていただけで、後の『青の住人』で苦労する羽目になった。   1996年には2ndシングル『YELLOW YELLOW HAPPY』を発売したが、ロングヒットで初のミリオンヒット達成。一線のアーティストとしての地位を確実にした。   番組では『YELLOW YELLOW HAPPY』のヒット後、メンバーにゲームを課し「できたら○○、できなかったら解散」という解散シリーズがスタート。ポケットビスケッツは苦労しながらライブや第3弾CD(Red Angel)発売を実現する。   1997年、『Red Angel』発売時にエンディングテーマを懸けての対決。ここでブラックビスケッツが初登場。2作連続ミリオンヒット。   アルバム『Colorful』発売の後、武道館ライブまでの間、実質的な活動休止(ブラックビスケッツがCDデビューするなど活動を活発化し、番組がそちらに注力したためだと考えられる)。   同年12月、ブラックビスケッツとの日本武道館ライブを賭けたガソリンすごろく対決で勝利。その年、12月28日に初の本格的武道館単独ライブを実施。   1998年、ブラックビスケッツとのCD発売を賭けての対決に敗れ、新たなるCD発売を懸けて100万人署名運動を行い、178万4892人の署名を集める。(締切後に届いた署名を含めると200万人を超えた。また締切間近には速達でないと集計に間に合わない為に、郵便職員が「かつて無い出来事」と言うほどの大量の速達署名が送られた)その署名に基づいて発売された「POWER」は、初のオリコンヒットチャートの1位に駈けのぼる。   同年7月から8月にかけて、100万人署名に対する御礼として全国9カ所でのライブツアーを開催。最終地・旭川では5万人以上を集めるなど、各地とも大盛況だった。   同年、NHKの『紅白歌合戦』に「ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツスペシャルバンド」として最初で最後の出場を果たし、ウリナリのメンバーが応援に駆け付けた。演出にも力を入れており、内村が途中ホワイティに扮したり、最後に『来年は白組で』という幕が現れるなど凝ったものであった。しかし、結局次の年以降にウリナリの企画グループが紅白に出演することは無かった。   1999年、メンバー3人がそれぞれソロシングルを発売。これは翌年3月の千秋のソロデビューとは異なり、ポケットビスケッツの活動のひとつ。   CD『青の住人』にてテル本人がピアノを弾いてないという不正が発覚。FMラジオに生出演し、完奏できなければポケットビスケッツ脱退という条件だったが、何とかこれをクリア。しかしテル本人は演奏の出来に納得しておらず、自ら進んで仮メンバーに。後のZepp Tokyoでのライブで見事な演奏を披露し、3人での活動を再開。これが『Days/My Diamond』の発売へつながる。   2000年1月1日午前0時、ユーミンの年越しライブにおいて、スペシャルユニット「Yuming+Pocket Biscuits」として『Millennium』を生中継、生演奏で発表する。   2000年、テルの提案により三人で相談の結果、千秋のソロデビューを決定。それに伴いポケットビスケッツとしての活動は停止することになる。   2000年3月12日、千秋のソロデビューライブ後、日本武道館でポケットビスケッツとしてライブを行う。これは直前まで千秋には秘密にされ、テレビでも告知されないシークレットライブのスタイルを取った。   このライブでテル・ウド・千秋の今後を祈って手作りの幸せの黄色いハンカチを入場者に配る。ファンの提案で即興の卒業式が行われる。   2002年3月、ウッチャンナンチャンのウリナリ!!最終回イベント「ウリナリ祭り」で復活を果たした。(メンバー3人が共演・ポケビ活動したのはこれが最後)   2005年9月14日、『吉田照美のやる気MANMAN!』に千秋がゲスト出演した際に、照美が「復活はないの?」と聞き、千秋が「ウッチャンの腰が重い(笑)私はいつでもやる気でいる。」と答えている。   2007年2月22日、千秋が自身のブログ上で最近久しぶりにポケビ会議が行われたことを明かす(会議の内容は不明)。さらに近いうちにまたポケビ会議があるかもしれないことも同時に明かしていた。   2007年8月8日、フジテレビ721のイベント「ともえちゃんフォークジャンボリー」[1]に千秋が出演し、単独でポケビの曲「yellow yellow happy」を演奏・熱唱した。   2008年4月1日にフジテレビの爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャルにて、にしおかすみこが千秋のモノマネで「yellow yellow happy」を歌った時に、ご本人として登場した。そのとき、にしおかすみこと「yellow yellow happy」を熱唱した。
  小档案      TERU(内村テル)   ウッチャンナンチャン・内村光良(プロデューサー、リーダー、キーボード)   CHIAKI(坂本千秋)   千秋(ボーカル)   UDO(独活野大木(うどのたいぼく))   キャイ〜ン・ウド鈴木(ギター、エレクトリックドラム)   ウリナリ以外の番組では、3人そろって番組出演することは滅多にない。         大事件      1995年11月結成。Mckee(マッキー)のおまけ扱いでフィリピンでデビュー。1996年4月17日に日本でCDデビュー。おまけ扱いだったがなぜか勝利し、看板アーティスト化した。初めは、内村は「このユニットでやりたくない。」と言っていた。内村は適当にキーボードを叩いていただけで、後の『青の住人』で苦労する羽目になった。   1996年には2ndシングル『YELLOW YELLOW HAPPY』を発売したが、ロングヒットで初のミリオンヒット達成。一線のアーティストとしての地位を確実にした。   番組では『YELLOW YELLOW HAPPY』のヒット後、メンバーにゲームを課し「できたら○○、できなかったら解散」という解散シリーズがスタート。ポケットビスケッツは苦労しながらライブや第3弾CD(Red Angel)発売を実現する。   1997年、『Red Angel』発売時にエンディングテーマを懸けての対決。ここでブラックビスケッツが初登場。2作連続ミリオンヒット。   アルバム『Colorful』発売の後、武道館ライブまでの間、実質的な活動休止(ブラックビスケッツがCDデビューするなど活動を活発化し、番組がそちらに注力したためだと考えられる)。   同年12月、ブラックビスケッツとの日本武道館ライブを賭けたガソリンすごろく対決で勝利。その年、12月28日に初の本格的武道館単独ライブを実施。   1998年、ブラックビスケッツとのCD発売を賭けての対決に敗れ、新たなるCD発売を懸けて100万人署名運動を行い、178万4892人の署名を集める。(締切後に届いた署名を含めると200万人を超えた。また締切間近には速達でないと集計に間に合わない為に、郵便職員が「かつて無い出来事」と言うほどの大量の速達署名が送られた)その署名に基づいて発売された「POWER」は、初のオリコンヒットチャートの1位に駈けのぼる。   同年7月から8月にかけて、100万人署名に対する御礼として全国9カ所でのライブツアーを開催。最終地・旭川では5万人以上を集めるなど、各地とも大盛況だった。   同年、NHKの『紅白歌合戦』に「ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツスペシャルバンド」として最初で最後の出場を果たし、ウリナリのメンバーが応援に駆け付けた。演出にも力を入れており、内村が途中ホワイティに扮したり、最後に『来年は白組で』という幕が現れるなど凝ったものであった。しかし、結局次の年以降にウリナリの企画グループが紅白に出演することは無かった。   1999年、メンバー3人がそれぞれソロシングルを発売。これは翌年3月の千秋のソロデビューとは異なり、ポケットビスケッツの活動のひとつ。   CD『青の住人』にてテル本人がピアノを弾いてないという不正が発覚。FMラジオに生出演し、完奏できなければポケットビスケッツ脱退という条件だったが、何とかこれをクリア。しかしテル本人は演奏の出来に納得しておらず、自ら進んで仮メンバーに。後のZepp Tokyoでのライブで見事な演奏を披露し、3人での活動を再開。これが『Days/My Diamond』の発売へつながる。   2000年1月1日午前0時、ユーミンの年越しライブにおいて、スペシャルユニット「Yuming+Pocket Biscuits」として『Millennium』を生中継、生演奏で発表する。   2000年、テルの提案により三人で相談の結果、千秋のソロデビューを決定。それに伴いポケットビスケッツとしての活動は停止することになる。   2000年3月12日、千秋のソロデビューライブ後、日本武道館でポケットビスケッツとしてライブを行う。これは直前まで千秋には秘密にされ、テレビでも告知されないシークレットライブのスタイルを取った。   このライブでテル・ウド・千秋の今後を祈って手作りの幸せの黄色いハンカチを入場者に配る。ファンの提案で即興の卒業式が行われる。   2002年3月、ウッチャンナンチャンのウリナリ!!最終回イベント「ウリナリ祭り」で復活を果たした。(メンバー3人が共演・ポケビ活動したのはこれが最後)   2005年9月14日、『吉田照美のやる気MANMAN!』に千秋がゲスト出演した際に、照美が「復活はないの?」と聞き、千秋が「ウッチャンの腰が重い(笑)私はいつでもやる気でいる。」と答えている。   2007年2月22日、千秋が自身のブログ上で最近久しぶりにポケビ会議が行われたことを明かす(会議の内容は不明)。さらに近いうちにまたポケビ会議があるかもしれないことも同時に明かしていた。   2007年8月8日、フジテレビ721のイベント「ともえちゃんフォークジャンボリー」[1]に千秋が出演し、単独でポケビの曲「yellow yellow happy」を演奏・熱唱した。   2008年4月1日にフジテレビの爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャルにて、にしおかすみこが千秋のモノマネで「yellow yellow happy」を歌った時に、ご本人として登場した。そのとき、にしおかすみこと「yellow yellow happy」を熱唱した。
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