小档案      龝(穐)吉 敏子(あきよし としこ、Toshiko Akiyoshi、1929年12月12日 - )は、ニューヨーク在住の日本人ジャズピアニスト、作曲家、編曲家、ビッグバンドリーダー。      氏名を表記する際には、フォント上の制約から、正字(いわゆる「旧字体」ないし「康煕字典体」)と呼ばれる「龝」ないし「穐」 を、当用漢字(いわゆる「新字体」ないし「略字体」)の「秋」に替えて、「秋吉敏子」と表記することも多い。      小简介      中国東北部(満州)の遼陽に日本人の両親の元に生まれた。小学1年生のときに3年生が弾く『トルコ行進曲』に魅せられ、小学1年生でピアノを習い始める。後に女学校に通うためと、より良い教師にピアノを習うために大連に移り、大連音楽学校で中国人の楊孝毅にピアノを習う。敗戦後に大分県に引き揚げ、別府の駐留軍キャンプ「つるみダンスホール」でジャズピアニストとして演奏を開始。      1948年夏に上京して、1952年コージー・カルテットを結成。1953年に来日したオスカー・ピーターソンの勧めでレコード『トシコ』を録音。      1954年7月、伊勢佐木町のクラブ「モカンボ」で、守安祥太郎を中心に行われた伝説的なジャム・セッションに参加。その時の音源は、1970年代に発掘・発売される。      1956年、26歳で単身渡米して、日本人としては初めてバークリー音楽院(Berklee College of Music、現バークリー音楽大学)で奨学生として学ぶ。1962年、チャールズ・ミンガスのバンドに参加。1963年、最初の夫チャーリー・マリアーノとの間に娘のマンディ満ちるをもうける。1965年離婚。      1967年に現在の夫でありフルート、テナーサックス奏者のルー・タバキンと出会い、1969年結婚。1973年にロサンゼルスで秋吉敏子=ルー・タバキンビッグバンドを結成し、1974年、ジャズと日本古来の和楽を融合した『孤軍』を発表する。1982年にはニューヨークへ戻り、1983年に秋吉敏子ジャズオーケストラ フィーチャリング ルー・タバキンを結成、自らの作編曲で通算30年にわたって活動を続け世界的に名声を馳せた。      1996年度に主にその著書『ジャズと生きる』で第9回ミュージック・ペンクラブ・ポピュラー部門最優秀賞を受賞。2003年12月29日、ニューヨークのジャズクラブバードランドでの演奏を最後にオーケストラを解散した。      2004年6月-7月にはNHK人間講座で講師を担当。2005年1月27日、米国を拠点にピアニスト、ビッグバンドリーダーとしてジャズ発展に寄与した功績が認められ、朝日新聞文化財団の朝日賞(04年度朝日賞)を受賞。東京・日比谷の帝国ホテルで開かれた受賞祝賀パーティーでは、木更津甚句に想を得た「ザ・ヴィレッジ」、「ヒロシマ そして終焉(しゅうえん)から」の最終楽章「ホープ」、「鞠と殿さま」の3曲を、ソロで演奏した。2006年12月、キャリアにおいて初となるシングル「HOPE 希望」を発表。現在はソロなどで活動中。      ちなみに、夫婦揃って熱心なワインコレクターである。      by Scott Yanow   As an arranger, Toshiko Akiyoshi (influenced originally by Gil Evans and Thad Jones) has been particularly notable for incorporating elements of traditional Japanese music into her otherwise bop-ish charts. A strong (and underrated) pianist in the Bud Powell tradition, Akiyoshi was born in China but moved to Japan in 1946. She played locally (Sadao Watanabe was among her sidemen) and, after being noticed and encouraged by Oscar Peterson, studied at Berklee during 1956-1959. Married for a time to altoist Charlie Mariano, she co-led the Toshiko Mariano Quartet in the early 60s. After working with Charles Mingus in 1962 (including participating in his ill-fated Town Hall Concert), Toshiko returned to Japan for three years. Back in New York by 1965, she did a radio series and formed a quartet with her second husband, Lew Tabackin, in 1970. After moving to Los Angeles in 1972, Toshiko Akiyoshi put together her very impressive big band which featured such fine soloists as Bobby Shew, Gary Foster, and Tabackin. They recorded several notable albums before Akiyoshi decided, in 1981, to move to New York. Since their relocation, Akiyoshi and Tabackin have both been quite active although her re-formed big band has actually received less publicity than it did in L.A. She ranks as one of the top jazz arrangers of the past several decades.
  小档案      龝(穐)吉 敏子(あきよし としこ、Toshiko Akiyoshi、1929年12月12日 - )は、ニューヨーク在住の日本人ジャズピアニスト、作曲家、編曲家、ビッグバンドリーダー。      氏名を表記する際には、フォント上の制約から、正字(いわゆる「旧字体」ないし「康煕字典体」)と呼ばれる「龝」ないし「穐」 を、当用漢字(いわゆる「新字体」ないし「略字体」)の「秋」に替えて、「秋吉敏子」と表記することも多い。      小简介      中国東北部(満州)の遼陽に日本人の両親の元に生まれた。小学1年生のときに3年生が弾く『トルコ行進曲』に魅せられ、小学1年生でピアノを習い始める。後に女学校に通うためと、より良い教師にピアノを習うために大連に移り、大連音楽学校で中国人の楊孝毅にピアノを習う。敗戦後に大分県に引き揚げ、別府の駐留軍キャンプ「つるみダンスホール」でジャズピアニストとして演奏を開始。      1948年夏に上京して、1952年コージー・カルテットを結成。1953年に来日したオスカー・ピーターソンの勧めでレコード『トシコ』を録音。      1954年7月、伊勢佐木町のクラブ「モカンボ」で、守安祥太郎を中心に行われた伝説的なジャム・セッションに参加。その時の音源は、1970年代に発掘・発売される。      1956年、26歳で単身渡米して、日本人としては初めてバークリー音楽院(Berklee College of Music、現バークリー音楽大学)で奨学生として学ぶ。1962年、チャールズ・ミンガスのバンドに参加。1963年、最初の夫チャーリー・マリアーノとの間に娘のマンディ満ちるをもうける。1965年離婚。      1967年に現在の夫でありフルート、テナーサックス奏者のルー・タバキンと出会い、1969年結婚。1973年にロサンゼルスで秋吉敏子=ルー・タバキンビッグバンドを結成し、1974年、ジャズと日本古来の和楽を融合した『孤軍』を発表する。1982年にはニューヨークへ戻り、1983年に秋吉敏子ジャズオーケストラ フィーチャリング ルー・タバキンを結成、自らの作編曲で通算30年にわたって活動を続け世界的に名声を馳せた。      1996年度に主にその著書『ジャズと生きる』で第9回ミュージック・ペンクラブ・ポピュラー部門最優秀賞を受賞。2003年12月29日、ニューヨークのジャズクラブバードランドでの演奏を最後にオーケストラを解散した。      2004年6月-7月にはNHK人間講座で講師を担当。2005年1月27日、米国を拠点にピアニスト、ビッグバンドリーダーとしてジャズ発展に寄与した功績が認められ、朝日新聞文化財団の朝日賞(04年度朝日賞)を受賞。東京・日比谷の帝国ホテルで開かれた受賞祝賀パーティーでは、木更津甚句に想を得た「ザ・ヴィレッジ」、「ヒロシマ そして終焉(しゅうえん)から」の最終楽章「ホープ」、「鞠と殿さま」の3曲を、ソロで演奏した。2006年12月、キャリアにおいて初となるシングル「HOPE 希望」を発表。現在はソロなどで活動中。      ちなみに、夫婦揃って熱心なワインコレクターである。      by Scott Yanow   As an arranger, Toshiko Akiyoshi (influenced originally by Gil Evans and Thad Jones) has been particularly notable for incorporating elements of traditional Japanese music into her otherwise bop-ish charts. A strong (and underrated) pianist in the Bud Powell tradition, Akiyoshi was born in China but moved to Japan in 1946. She played locally (Sadao Watanabe was among her sidemen) and, after being noticed and encouraged by Oscar Peterson, studied at Berklee during 1956-1959. Married for a time to altoist Charlie Mariano, she co-led the Toshiko Mariano Quartet in the early 60s. After working with Charles Mingus in 1962 (including participating in his ill-fated Town Hall Concert), Toshiko returned to Japan for three years. Back in New York by 1965, she did a radio series and formed a quartet with her second husband, Lew Tabackin, in 1970. After moving to Los Angeles in 1972, Toshiko Akiyoshi put together her very impressive big band which featured such fine soloists as Bobby Shew, Gary Foster, and Tabackin. They recorded several notable albums before Akiyoshi decided, in 1981, to move to New York. Since their relocation, Akiyoshi and Tabackin have both been quite active although her re-formed big band has actually received less publicity than it did in L.A. She ranks as one of the top jazz arrangers of the past several decades.
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穐吉敏子
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