小档案      辻仁成(つじじんせい):(Vo/G)(1959年10月4日生まれ)東京都出身   楽曲の作詞作曲を担当していた。バイト先で偶然出合った今川のドラムに感動し、彼とバンドを組む事を望んだ所からエコーズの歴史が始まった。作詞や作曲は夜の海などの広い場所で行う事が多い。アマチュア時代に働いていたハンバーガー屋で数々のハンバーガーを開発し、売り上げに貢献した事で本気でハンバーガー屋になろうかと考えた事もある。初期はエレキギターも使用していたが、後期は[K.Yairi]製のアコースティックギターやエレアコがメインとなっていた。ブラックジーンズにブーツ、バンダナがおなじみのスタイル。      伊藤浩樹(いとうひろき):(G/Cho)(1963年4月9日生まれ)東京都出身   高校中退後、音楽をやりながらバイトで生計を立てていたが、このままではいけないとバンドの斡旋所でエコーズを紹介され、オーディションを受けるが、彼はアンプの使い方すらよく分かっていない上、たいした腕ではなかった為、不合格だと思っていたが、なぜか彼が選ばれた。辻曰く、伊藤は演奏は下手だったが、ただ上手いだけのギタリストより魅力があった上に、フィンガーテクニックが異常なほど上手かったのが理由だという。フィンガーテクニックの上手さは、中学時代から通い続けていたパチンコで鍛えられた。初期のメインギターはフェンダー社のテレキャスターを使用していた。解散後はプロデューサー、ミュージシャンとして活動。      伊黒俊彦(いぐろとしひこ):(B/Cho)(1960年10月20日生まれ)鹿児島県出身   上京し、エコーズのギタリストのオーディションを受けるが、ギタリストのオーディションが終わっていたので、ベースでもいいので参加したいと、それまでギターしか経験が無かったがエコーズに入る為に必死になってベースを練習していたという逸話がある。バンド解散後は、音楽活動から遠ざかっていった。2008年から、再始動しユニット形式で作品を発表している。      今川勉(いまがわつとむ):(Dr/Cho)(1959年3月27日生まれ)秋田県出身   バンマスとして結成当初からエコーズを支え続けてきた。上京後に買い物に訪れたジーンズショップで店員だった辻と出会い、音楽の話などで意気投合してバンドを組む事になる。   バンド解散後は、1990年から山羊智詞&赤羽楽団に参加。その後、山羊智詞、水江慎一郎、横内健亨、朝井泰生らとダイナマイトマシーンを結成するも、体調不良を訴えツアー途中で離脱。(後任に太田明(筋肉少女帯)がサポート参加するも、デビューアルバムレコーディング中に解散。)甲斐よしひろのバンドKAI FIVEや真島昌利のソロアルバム「夏のぬけがら」などにドラマーとして参加。その後何度か大病によって生死を彷徨ったが、現在は回復し、音楽活動以外にも絵画などの個展を開いている。         小简介      ECHOES是日本80年代后半期具有代表性的摇滚乐队。不同于一般摇滚青年粗犷叛逆的作风,ECHOES被评论界认为具有内省、成熟的一面,其音乐颇具内涵深度。乐队的灵魂人物辻仁成,后来成为中山美穗的老公。      1985年首张大碟《WELCOME TO THE LOST CHILD CLUB》,歌词具有暗示性的政治批判意味,显示出乐队不凡的野心。在音乐上,早期的几张大碟被认为以模仿U2、Police为主(如早期的一曲《来访者》,十分Police),节奏明快激昂,唱腔更是十足热血。这种"激情摇滚"的风格,在当时的日本虽不乏同路人,但似乎只有ECHOES能将其表达得淋漓尽致。ECHOES的音乐以辻仁成的创作为核心,这位帅气型男不仅音乐才华出众,更是一位文艺多面手。他同时还为许多其他艺人提供词曲和音乐监制的工作。说来好笑,虽然ECHOES的音乐给人的感觉非常男性化,但辻仁成的词曲却大多提供给女歌手。这其中,尤以1988年给刚出道的川村かおり(kawamura kaori)所写的一曲《ZOO》最为出名。《ZOO》的走红,反过来使ECHOES受到了更多关注,于是在乐队1989年第六张大碟《Dear Friends》中,来了一次自我翻唱,也获得了成功。1990年,乐队第七张大碟《EGGS》发表。这张大碟以庞大的架构、优美的乐句、富有诗意的歌词,完全突破了以前的风格。在评论的一片赞誉声中,ECHOES登上武道馆的舞台,或得空前成功。然而,就在乐队达到顶峰之时,却意外地宣布了解散。      之后,精选《GOLD WATER》和含有未发表歌曲的last album《Silver Bullet》发表。辻仁成从音乐圈一线抽身,当起了职业作家,并以1997年的《海峡之光》获得成功,拿下芥川奖。时过境迁,多年来辻仁成虽然转型成了作家,发表了一堆小说和诗歌,但其实也一直在出版个人唱片。另外他也执导过几部电影,近年来又组成了ZAMZA乐队,这位帅哥至今仍游走于各个领域,潇洒至极。      注1:辻仁成结过三次婚,第一次是一位女摄影师,离婚。第二次是著名演员南果步,离婚。最后是偶像明星中山美穗,于2002年结婚至今。         ECHOES(エコーズ)は、現在は作家として活躍中の辻仁成を中心に結成されたロックバンド。1981年結成。1985年にCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)よりアルバム『WELCOME TO THE LOST CHILD CLUB』でデビュー。9枚のオリジナルアルバムを残し1991年解散。      2000年にフジテレビ系列で放送された辻仁成脚本のテレビドラマ「愛をください」の主題歌として「ZOO」が使用され、再び大ヒットした。 2000年12月28日には、日本武道館にて一夜限りの再結成ライブを行った。         当時日本では誰もやっていなかった、U2やエコー&ザ・バニーメンといったニュー・ウェイヴの洋楽の音を取り入れた最初期のバンドのひとつ。特に初期の楽曲のテイストはポリスを彷彿とさせる、クールなサウンドが多い。また前期はシニカルで散文詩的な歌詞が多く、いじめ、家庭崩壊、コンピューターネットワークでしかコミュニケーションの取れない子供たち等、重いテーマが多かった。後に辻自身「楽曲の完成度とは別にオーディエンスとの一体感を得るには難があった」旨の見解を示している(下村誠著『ECHOES〜タッグ・オブ・ストリート』)後期はシニカルな視線はそのままに、熱いメッセージ性を織り込んだ作風となる。         バンド   当初のメンバーは辻と今川の二人で、後のメンバーはオーディションで決定された。バンド名は最初QUARKだったが、トム・ロビンソンのライブで前座を務める際、ECHOESに変更。自分達の音楽が水面に石を投げた後の波紋のように拡がっていって欲しいという意味でつけられた。ちなみに初期のバンド名の表記はTHE ECHOESだった。      解散まで   ライブでのソリッドな演奏と辻の描く青春や恋、人と人のすれ違いや社会批判などをシニカルに描いた歌詞が人気を評し、ロックファンや多くのミュージシャンにも支持されてきた。特に当初は、ジャック・ケルアックらビート・ジェネレーションの作家への言及が目立ち、「JACK」等実際の楽曲にもその影響がみられる。セールス的にはまずまずという状態が続いたが、1989年シングル「ZOO」(1988年に川村かおりに提供した曲のセルフカヴァー)がヒット。さらに辻仁成がすばる文学賞を受賞したことで、音楽以外でのマスコミの注目度もあがり、三部作となる予定の『EGGS』を発表し続いて日本武道館でのライブを大成功させた。順風満帆かと思われていた矢先、突然解散を表明。日比谷野外音楽堂でのライブ(1991年5月26日)を最後に解散する。      当時、『ロッキンオンJAPAN』インタビューによれば、実際、メンバー各人から一度は解散、脱退の意思表示されていたらしい(伊藤浩樹の場合は持病の治療等が理由)。その都度、辻がそれを押し留めていたが、小説家デビューを含めて音楽活動を考えるために、一旦バンド休止をしたいと申し出た辻に対して、メンバーがそれならいっそ解散にしよう、と言ったことがことの推移。いつも解散を止めていた辻がそう言うのなら、止める理由がない…ということだったらしい。      その後   「ZOO」のリバイバルヒットで、再評価され、2000年12月28日に日本武道館にて一夜限りの再結成ライブを行った。   再結成ライブの翌年、辻は伊藤浩樹と新ユニット『ECHOES OF YOUTH』を結成、シングル3枚をリリース。ユニット名は'91年解散前のファンクラブ名に由来している。アルバム制作も発表していたが、リリースには至っていない。   2008年、辻と伊藤は元JUDY AND MARYの恩田快人・五十嵐公太と共にZAMZA N'BANSHEEを結成。ただし辻は自身のブログにて「ECHOESとジュディマリの曲はやらない」と明言。また「ZAMZA N'BANSHEEは辻仁成の最後のステージになる」とも語っている。   2009年3月23日放送のフジテレビ系列のTV番組「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP 歌力の名曲CHAMP!蘇るいい歌だらけのスペシャル!」にZAMZA N'BANSHEEのメンバーで出演。「ZOO」を披露した。
  小档案      辻仁成(つじじんせい):(Vo/G)(1959年10月4日生まれ)東京都出身   楽曲の作詞作曲を担当していた。バイト先で偶然出合った今川のドラムに感動し、彼とバンドを組む事を望んだ所からエコーズの歴史が始まった。作詞や作曲は夜の海などの広い場所で行う事が多い。アマチュア時代に働いていたハンバーガー屋で数々のハンバーガーを開発し、売り上げに貢献した事で本気でハンバーガー屋になろうかと考えた事もある。初期はエレキギターも使用していたが、後期は[K.Yairi]製のアコースティックギターやエレアコがメインとなっていた。ブラックジーンズにブーツ、バンダナがおなじみのスタイル。      伊藤浩樹(いとうひろき):(G/Cho)(1963年4月9日生まれ)東京都出身   高校中退後、音楽をやりながらバイトで生計を立てていたが、このままではいけないとバンドの斡旋所でエコーズを紹介され、オーディションを受けるが、彼はアンプの使い方すらよく分かっていない上、たいした腕ではなかった為、不合格だと思っていたが、なぜか彼が選ばれた。辻曰く、伊藤は演奏は下手だったが、ただ上手いだけのギタリストより魅力があった上に、フィンガーテクニックが異常なほど上手かったのが理由だという。フィンガーテクニックの上手さは、中学時代から通い続けていたパチンコで鍛えられた。初期のメインギターはフェンダー社のテレキャスターを使用していた。解散後はプロデューサー、ミュージシャンとして活動。      伊黒俊彦(いぐろとしひこ):(B/Cho)(1960年10月20日生まれ)鹿児島県出身   上京し、エコーズのギタリストのオーディションを受けるが、ギタリストのオーディションが終わっていたので、ベースでもいいので参加したいと、それまでギターしか経験が無かったがエコーズに入る為に必死になってベースを練習していたという逸話がある。バンド解散後は、音楽活動から遠ざかっていった。2008年から、再始動しユニット形式で作品を発表している。      今川勉(いまがわつとむ):(Dr/Cho)(1959年3月27日生まれ)秋田県出身   バンマスとして結成当初からエコーズを支え続けてきた。上京後に買い物に訪れたジーンズショップで店員だった辻と出会い、音楽の話などで意気投合してバンドを組む事になる。   バンド解散後は、1990年から山羊智詞&赤羽楽団に参加。その後、山羊智詞、水江慎一郎、横内健亨、朝井泰生らとダイナマイトマシーンを結成するも、体調不良を訴えツアー途中で離脱。(後任に太田明(筋肉少女帯)がサポート参加するも、デビューアルバムレコーディング中に解散。)甲斐よしひろのバンドKAI FIVEや真島昌利のソロアルバム「夏のぬけがら」などにドラマーとして参加。その後何度か大病によって生死を彷徨ったが、現在は回復し、音楽活動以外にも絵画などの個展を開いている。         小简介      ECHOES是日本80年代后半期具有代表性的摇滚乐队。不同于一般摇滚青年粗犷叛逆的作风,ECHOES被评论界认为具有内省、成熟的一面,其音乐颇具内涵深度。乐队的灵魂人物辻仁成,后来成为中山美穗的老公。      1985年首张大碟《WELCOME TO THE LOST CHILD CLUB》,歌词具有暗示性的政治批判意味,显示出乐队不凡的野心。在音乐上,早期的几张大碟被认为以模仿U2、Police为主(如早期的一曲《来访者》,十分Police),节奏明快激昂,唱腔更是十足热血。这种"激情摇滚"的风格,在当时的日本虽不乏同路人,但似乎只有ECHOES能将其表达得淋漓尽致。ECHOES的音乐以辻仁成的创作为核心,这位帅气型男不仅音乐才华出众,更是一位文艺多面手。他同时还为许多其他艺人提供词曲和音乐监制的工作。说来好笑,虽然ECHOES的音乐给人的感觉非常男性化,但辻仁成的词曲却大多提供给女歌手。这其中,尤以1988年给刚出道的川村かおり(kawamura kaori)所写的一曲《ZOO》最为出名。《ZOO》的走红,反过来使ECHOES受到了更多关注,于是在乐队1989年第六张大碟《Dear Friends》中,来了一次自我翻唱,也获得了成功。1990年,乐队第七张大碟《EGGS》发表。这张大碟以庞大的架构、优美的乐句、富有诗意的歌词,完全突破了以前的风格。在评论的一片赞誉声中,ECHOES登上武道馆的舞台,或得空前成功。然而,就在乐队达到顶峰之时,却意外地宣布了解散。      之后,精选《GOLD WATER》和含有未发表歌曲的last album《Silver Bullet》发表。辻仁成从音乐圈一线抽身,当起了职业作家,并以1997年的《海峡之光》获得成功,拿下芥川奖。时过境迁,多年来辻仁成虽然转型成了作家,发表了一堆小说和诗歌,但其实也一直在出版个人唱片。另外他也执导过几部电影,近年来又组成了ZAMZA乐队,这位帅哥至今仍游走于各个领域,潇洒至极。      注1:辻仁成结过三次婚,第一次是一位女摄影师,离婚。第二次是著名演员南果步,离婚。最后是偶像明星中山美穗,于2002年结婚至今。         ECHOES(エコーズ)は、現在は作家として活躍中の辻仁成を中心に結成されたロックバンド。1981年結成。1985年にCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)よりアルバム『WELCOME TO THE LOST CHILD CLUB』でデビュー。9枚のオリジナルアルバムを残し1991年解散。      2000年にフジテレビ系列で放送された辻仁成脚本のテレビドラマ「愛をください」の主題歌として「ZOO」が使用され、再び大ヒットした。 2000年12月28日には、日本武道館にて一夜限りの再結成ライブを行った。         当時日本では誰もやっていなかった、U2やエコー&ザ・バニーメンといったニュー・ウェイヴの洋楽の音を取り入れた最初期のバンドのひとつ。特に初期の楽曲のテイストはポリスを彷彿とさせる、クールなサウンドが多い。また前期はシニカルで散文詩的な歌詞が多く、いじめ、家庭崩壊、コンピューターネットワークでしかコミュニケーションの取れない子供たち等、重いテーマが多かった。後に辻自身「楽曲の完成度とは別にオーディエンスとの一体感を得るには難があった」旨の見解を示している(下村誠著『ECHOES〜タッグ・オブ・ストリート』)後期はシニカルな視線はそのままに、熱いメッセージ性を織り込んだ作風となる。         バンド   当初のメンバーは辻と今川の二人で、後のメンバーはオーディションで決定された。バンド名は最初QUARKだったが、トム・ロビンソンのライブで前座を務める際、ECHOESに変更。自分達の音楽が水面に石を投げた後の波紋のように拡がっていって欲しいという意味でつけられた。ちなみに初期のバンド名の表記はTHE ECHOESだった。      解散まで   ライブでのソリッドな演奏と辻の描く青春や恋、人と人のすれ違いや社会批判などをシニカルに描いた歌詞が人気を評し、ロックファンや多くのミュージシャンにも支持されてきた。特に当初は、ジャック・ケルアックらビート・ジェネレーションの作家への言及が目立ち、「JACK」等実際の楽曲にもその影響がみられる。セールス的にはまずまずという状態が続いたが、1989年シングル「ZOO」(1988年に川村かおりに提供した曲のセルフカヴァー)がヒット。さらに辻仁成がすばる文学賞を受賞したことで、音楽以外でのマスコミの注目度もあがり、三部作となる予定の『EGGS』を発表し続いて日本武道館でのライブを大成功させた。順風満帆かと思われていた矢先、突然解散を表明。日比谷野外音楽堂でのライブ(1991年5月26日)を最後に解散する。      当時、『ロッキンオンJAPAN』インタビューによれば、実際、メンバー各人から一度は解散、脱退の意思表示されていたらしい(伊藤浩樹の場合は持病の治療等が理由)。その都度、辻がそれを押し留めていたが、小説家デビューを含めて音楽活動を考えるために、一旦バンド休止をしたいと申し出た辻に対して、メンバーがそれならいっそ解散にしよう、と言ったことがことの推移。いつも解散を止めていた辻がそう言うのなら、止める理由がない…ということだったらしい。      その後   「ZOO」のリバイバルヒットで、再評価され、2000年12月28日に日本武道館にて一夜限りの再結成ライブを行った。   再結成ライブの翌年、辻は伊藤浩樹と新ユニット『ECHOES OF YOUTH』を結成、シングル3枚をリリース。ユニット名は'91年解散前のファンクラブ名に由来している。アルバム制作も発表していたが、リリースには至っていない。   2008年、辻と伊藤は元JUDY AND MARYの恩田快人・五十嵐公太と共にZAMZA N'BANSHEEを結成。ただし辻は自身のブログにて「ECHOESとジュディマリの曲はやらない」と明言。また「ZAMZA N'BANSHEEは辻仁成の最後のステージになる」とも語っている。   2009年3月23日放送のフジテレビ系列のTV番組「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP 歌力の名曲CHAMP!蘇るいい歌だらけのスペシャル!」にZAMZA N'BANSHEEのメンバーで出演。「ZOO」を披露した。
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