小简介
ザ・ルースターズ(THE ROOSTERS、THE ROOSTERZ)は1979年に結成し2004年に解散した日本のロックバンド。
初期メンバーは、大江慎也(ボーカル、ギター)、花田裕之(ギター)、井上富雄(ベース)、池畑潤二(ドラムス)の4人。
初期の頃はチャンプスの「テキーラ」、エディ・コクランの「カモン・エヴリバディ」、ボ・ディドリーの「モナ」など多くのカバーをやっていたが、オリジナル曲の「ロージー」や「恋をしようよ」などのスピード感のある楽曲の数々を発表し続けてきた。しかしバンド中期には、初代ボーカルの大江慎也が精神的体調不良により脱退。その後、ギターの花田裕之がボーカルを務めるも、1988年にバンドは活動停止。2004年、オリジナルメンバーである大江、井上、池畑をゲストに呼んだラストライブで正式に解散。詳細は後述の略歴の節を参照のこと。
大事件
1979年11月、「人間クラブ」というバンドを母体に、ザ・ルースターズが結成される。バンド名はウィリー・ディクスンによるブルースの名曲"Little Red Rooster"にちなむ[1]。人間クラブには、大江を始め、4人のルースターズになるメンバーが参加していたが、ヴォーカルは大江ではなく、サンハウスの柴山俊之を彷彿とさせる歌唱法の南浩二だった。大江の中で歌いたい欲求が強くなり、それがルースターズ結成を決意させた。
1980年11月にシングル「ロージー/恋をしようよ」でデビュー。当初はローリング・ストーンズ、チャック・ベリーのカバーを中心としながらR&B、ブルースロック、パンク・ロックを基調としたハイテンションなサウンドを展開していた。
1983年、この頃から大江が精神的にダウンし始め、サウンドにも病的な陰影が漂いはじめた。6月に下山淳(ギター)、安藤広一(キーボード)が加入し、ドラムの池畑潤二が脱退し、代わりに灘友正幸が加入。4thアルバム『DIS』をリリース。この頃のサウンドは当時日本でも人気のあったU2やエコー&ザ・バニーメンのようなニュー・ウェイヴの色が強くなり、ディレイギターやキーボードの多用など、初期の骨太なロックとは異なるサウンドを奏で出す。安藤は、P-MODELのキーボーディストだった三浦俊一に、DX7にテープ・エコーを通すことで音色を柔らかくする手法を教え、当時のP-MODELのサウンドにも影響を与えている。
1984年1月、ベースの井上富雄が脱退し、柞山一彦が加入。同年4月発売の5rhアルバム『GOOD DREAMS』よりバンド名表記を「THE ROOSTERS」から「THE ROOSTERZ」へ変更。この表記の変更は大江の突発的な思いつきによるもので、「別にたいした意味はなかった」「なんだか有機質から無機質になったなって今にしてみると思うけど」[2]と大江は語る。大江の精神は更に病みだし、次第にレコーディングにも支障をきたし出す。『GOOD DREAMS』の中の数曲は、過去の音源のリミックスで穴埋めをするなどの苦肉の策が練られた。そして同年12月にリリースされたアルバム『φ(ファイ)』は大江在籍時に最後にリリースされた作品となる。大江の精神は不調をきたし、ライブやレコーディングで歌えなくなることが多く、バンドは不安定な状態にあった。それにも関わらず、アルバムは幻想的なサウンドと歌詞で、皮肉なことに、アルバムの売り上げも過去最高だったという。
1985年3月、大江再び入院。安藤広一もまた脱退し、バンドは解散かと思われたが、同年7月発売のシングル「SOS」より花田裕之が正式にメイン・ボーカルをとるようになる。大江はその後バンドに復帰する事はなかった。
1986年花田、下山を中心とした新生ルースターズは初のフルアルバム『NEON BOY』をリリースする。初期の男らしさのある骨太サウンドや歌詞とは違った、下山の変態的なギターサウンドが奏でるグラムロック調のサウンドと、柴山俊之の書くエロティックな歌詞が特徴である。その後thee michelle gun elephant等の影響で現在も人気のある爆音ギターロックのルーツ『KAMINARI』をリリース。
1987年9月、パリにてレコーディングされた清涼感のあるサウンドに深みのある詞を載せた『PASSENGER』をリリースするものの、商業的にはヒットせず。11月、柞山一彦、灘友正幸が脱退し、穴井仁吉(ベース、元ザ・ロッカーズ)、三原重夫(ドラム、元ローザ・ルクセンブルグ、当時メトロファルス、のちザ・スターリン)が加入。
1988年5月、ソロシンガーのSIONや元頭脳警察のPANTAも参加した8thアルバム『FOUR PIECES』をリリースし、同年7月の渋谷公会堂でのライヴをもってTHE ROOSTERZは解散。このライブのアンコールで大江、井上、池畑が揃い、初期の曲「C.M.C」を演奏した。
2004年7月、フジ・ロック・フェスティバルでオリジナルメンバーによるラストライブを行う。このライブをもってTHE ROOSTERSは正式に解散。
2009年8月TokyoNightShowにて大江、花田、池畑、井上の4人でライブを行う。occupy名義でのライブであるが、occupyメンバーのSMILEYとGYOが3曲目で姿を消し、ゲスト表記されていた大江、花田が入る形で4人のライブが実現した。ライブでは、恋をしようよ、ロージー、C.M.C、などのルースターズ名義の曲を演奏した。
2009年12月29日には、MUSIC COMPLEX2009(会場 福岡サンパレス)で一夜限りのライブを行う。ルースターズとして活動するのはフジ・ロック・フェスティバル以来5年ぶり。 また地元福岡でライブを行ったのは実に28年ぶりである。
2012年6月23日、宮古島ロックフェスティバルに、ルースターズは出演してCASE OF INSANITY、ロージー、恋をしようよ、GIRL FRIEND、ニュールンベルグでささやいてなどの楽曲を演奏し、観客を沸かせた。
2006年現在活躍しているミュージシャン、音楽関係者の多くが彼らをリスペクトしており、その中でもthee michelle gun elephantが顕著である。
また、ルースターズのトリビュート・アルバム『RESPECTABLE ROOSTERS』は、thee michelle gun elephant、東京スカパラダイスオーケストラ、POTSHOTなど、ルースターズに対する思い入れが強いバンドが集結したものである。さらに、単純にカヴァーをしているわけではなく、各自の個性を活かした演奏になっており、オリコン・チャートの最高位は42位と、トリビュート・アルバムの中では成功といえる出来だった。大江慎也自身もこのアルバムを気に入っている。2005年9月には第2弾も製作され、勝手にしやがれ、THE BACK HORN、グループ魂等が参加している。
小简介
ザ・ルースターズ(THE ROOSTERS、THE ROOSTERZ)は1979年に結成し2004年に解散した日本のロックバンド。
初期メンバーは、大江慎也(ボーカル、ギター)、花田裕之(ギター)、井上富雄(ベース)、池畑潤二(ドラムス)の4人。
初期の頃はチャンプスの「テキーラ」、エディ・コクランの「カモン・エヴリバディ」、ボ・ディドリーの「モナ」など多くのカバーをやっていたが、オリジナル曲の「ロージー」や「恋をしようよ」などのスピード感のある楽曲の数々を発表し続けてきた。しかしバンド中期には、初代ボーカルの大江慎也が精神的体調不良により脱退。その後、ギターの花田裕之がボーカルを務めるも、1988年にバンドは活動停止。2004年、オリジナルメンバーである大江、井上、池畑をゲストに呼んだラストライブで正式に解散。詳細は後述の略歴の節を参照のこと。
大事件
1979年11月、「人間クラブ」というバンドを母体に、ザ・ルースターズが結成される。バンド名はウィリー・ディクスンによるブルースの名曲"Little Red Rooster"にちなむ[1]。人間クラブには、大江を始め、4人のルースターズになるメンバーが参加していたが、ヴォーカルは大江ではなく、サンハウスの柴山俊之を彷彿とさせる歌唱法の南浩二だった。大江の中で歌いたい欲求が強くなり、それがルースターズ結成を決意させた。
1980年11月にシングル「ロージー/恋をしようよ」でデビュー。当初はローリング・ストーンズ、チャック・ベリーのカバーを中心としながらR&B、ブルースロック、パンク・ロックを基調としたハイテンションなサウンドを展開していた。
1983年、この頃から大江が精神的にダウンし始め、サウンドにも病的な陰影が漂いはじめた。6月に下山淳(ギター)、安藤広一(キーボード)が加入し、ドラムの池畑潤二が脱退し、代わりに灘友正幸が加入。4thアルバム『DIS』をリリース。この頃のサウンドは当時日本でも人気のあったU2やエコー&ザ・バニーメンのようなニュー・ウェイヴの色が強くなり、ディレイギターやキーボードの多用など、初期の骨太なロックとは異なるサウンドを奏で出す。安藤は、P-MODELのキーボーディストだった三浦俊一に、DX7にテープ・エコーを通すことで音色を柔らかくする手法を教え、当時のP-MODELのサウンドにも影響を与えている。
1984年1月、ベースの井上富雄が脱退し、柞山一彦が加入。同年4月発売の5rhアルバム『GOOD DREAMS』よりバンド名表記を「THE ROOSTERS」から「THE ROOSTERZ」へ変更。この表記の変更は大江の突発的な思いつきによるもので、「別にたいした意味はなかった」「なんだか有機質から無機質になったなって今にしてみると思うけど」[2]と大江は語る。大江の精神は更に病みだし、次第にレコーディングにも支障をきたし出す。『GOOD DREAMS』の中の数曲は、過去の音源のリミックスで穴埋めをするなどの苦肉の策が練られた。そして同年12月にリリースされたアルバム『φ(ファイ)』は大江在籍時に最後にリリースされた作品となる。大江の精神は不調をきたし、ライブやレコーディングで歌えなくなることが多く、バンドは不安定な状態にあった。それにも関わらず、アルバムは幻想的なサウンドと歌詞で、皮肉なことに、アルバムの売り上げも過去最高だったという。
1985年3月、大江再び入院。安藤広一もまた脱退し、バンドは解散かと思われたが、同年7月発売のシングル「SOS」より花田裕之が正式にメイン・ボーカルをとるようになる。大江はその後バンドに復帰する事はなかった。
1986年花田、下山を中心とした新生ルースターズは初のフルアルバム『NEON BOY』をリリースする。初期の男らしさのある骨太サウンドや歌詞とは違った、下山の変態的なギターサウンドが奏でるグラムロック調のサウンドと、柴山俊之の書くエロティックな歌詞が特徴である。その後thee michelle gun elephant等の影響で現在も人気のある爆音ギターロックのルーツ『KAMINARI』をリリース。
1987年9月、パリにてレコーディングされた清涼感のあるサウンドに深みのある詞を載せた『PASSENGER』をリリースするものの、商業的にはヒットせず。11月、柞山一彦、灘友正幸が脱退し、穴井仁吉(ベース、元ザ・ロッカーズ)、三原重夫(ドラム、元ローザ・ルクセンブルグ、当時メトロファルス、のちザ・スターリン)が加入。
1988年5月、ソロシンガーのSIONや元頭脳警察のPANTAも参加した8thアルバム『FOUR PIECES』をリリースし、同年7月の渋谷公会堂でのライヴをもってTHE ROOSTERZは解散。このライブのアンコールで大江、井上、池畑が揃い、初期の曲「C.M.C」を演奏した。
2004年7月、フジ・ロック・フェスティバルでオリジナルメンバーによるラストライブを行う。このライブをもってTHE ROOSTERSは正式に解散。
2009年8月TokyoNightShowにて大江、花田、池畑、井上の4人でライブを行う。occupy名義でのライブであるが、occupyメンバーのSMILEYとGYOが3曲目で姿を消し、ゲスト表記されていた大江、花田が入る形で4人のライブが実現した。ライブでは、恋をしようよ、ロージー、C.M.C、などのルースターズ名義の曲を演奏した。
2009年12月29日には、MUSIC COMPLEX2009(会場 福岡サンパレス)で一夜限りのライブを行う。ルースターズとして活動するのはフジ・ロック・フェスティバル以来5年ぶり。 また地元福岡でライブを行ったのは実に28年ぶりである。
2012年6月23日、宮古島ロックフェスティバルに、ルースターズは出演してCASE OF INSANITY、ロージー、恋をしようよ、GIRL FRIEND、ニュールンベルグでささやいてなどの楽曲を演奏し、観客を沸かせた。
2006年現在活躍しているミュージシャン、音楽関係者の多くが彼らをリスペクトしており、その中でもthee michelle gun elephantが顕著である。
また、ルースターズのトリビュート・アルバム『RESPECTABLE ROOSTERS』は、thee michelle gun elephant、東京スカパラダイスオーケストラ、POTSHOTなど、ルースターズに対する思い入れが強いバンドが集結したものである。さらに、単純にカヴァーをしているわけではなく、各自の個性を活かした演奏になっており、オリコン・チャートの最高位は42位と、トリビュート・アルバムの中では成功といえる出来だった。大江慎也自身もこのアルバムを気に入っている。2005年9月には第2弾も製作され、勝手にしやがれ、THE BACK HORN、グループ魂等が参加している。