MURO(ムロ、本名:室田隆義、1970年3月25日 - )は、日本のヒップホップMC及びDJ、プロデューサー、デザイナー。
来歴
1970年3月25日、埼玉県川口市に生まれる。1980年代後半〜1990年代初頭、KRUSH POSSE、MICROPHONE PAGERでの活動で、日本語ラップに「改正」を唱え、真の意味でのヒップホップを日本に根付かせるべく活動。MICROPHONE PAGERと前後してソロとしての活動を開始する。1996年発売のMAKI & TAIKIのEP『ON THE 1+2』の楽曲「バスドラ発〜スネア行」に参加。1997年、スペルバウンドよりシングル「DAI SAN DANRAKU 97 PAGE」発売。1998年、自身のレーベル「incredible」を立ち上げる。彼によればラップを捨てたのは左耳がライヴ中に聞こえなくなったからである。その時はショックで泣いたという。治療後にDJ転向を決意したという。
1999年4月21日、トイズファクトリーよりメジャー第一弾となるミニ・アルバム『K.M.W.(King Most Wanted)』を発売。同年12月22日には、アメリカのヒップホップグループ、Diggin' in the Crates Crewのロード・フィネスとA.G.が参加したシングル「THE VINYL ATHLETES」発売。2000年8月23日、初のフルアルバム『PAN RHYTHM :Flight No.11154』を発売。2002年6月12日、K.O.D.Pを大々的にフィーチャーしたアルバム『Sweeeet Baaad A*s Encounter』を発売。
2003年1月22日、ミニアルバム『CHAIN REACTION』を発売。また、DJとしても国内外で活動を広げ、マイアミで行われている「Winter Music Conference」への出演や、アメリカのヒップホップレーベル「STONES THROW」のツアーへの参加などを経て国外でも認知度を深めていく。2005年7月20日、avexよりアルバム『20 Street Years』発売。同年9月20日、フランスのハウスDJ、ディミトリ・フロム・パリとのコラボレーションMIX CD『Super Disco Friends』を発売。
2006年11月、井上三太の漫画『TOKYO TRIBE2』のテレビアニメ化にあたり、そのサウンドトラックを担当。11月22日には日米のラッパー、プロデューサーが集結したMUROプロデュースによるアルバム『TOKYO TRIBE2』を発売。日本からはTWIGYやBIG-Oらが参加。アメリカからはJUST BLAZE、ゴーストフェイス・キラ、デ・ラ・ソウルらが参加。また、同日に自身の集大成となる完全ベスト盤『MUROTIMATE BREAKS & BEATS VOL.1 & VOL.2』を発売。これまでの映像作品をDVDに収録し、自身のラッパーとしてのキャリアを総括した作品。
2007年
8月22日、ニューヨークのグラフィティアーティストLEE QUINONESとのコラボレーションによる初のインストアルバム『EAST RIVER PARK』を発売。
10月、ミラノで行われたNIKE AIRFORCE 1のイベントでのDJ出演を皮切りにロンドン、アムステルダムでのヨーロッパツアーを敢行。
12月、北京で行われたFENDIのファッションショーのアフターパーティでDJを行う。
2008年
1月、安室奈美恵によるヴィダル・サスーンCMタイアップ曲「ROCK STEADY」のプロデュースや、MISIA「Yes Forever」のリミックスなどを手がける。
4月、ニューヨークのブルックリン美術館で行われた村上隆のエキシビションのオープニングイベントにてDJを行う。
2009年
EMI、UNIVERSALなどからコンピレーション・アルバムをリリース。8月26日には自身の軌跡を辿るべくセルフミックスで過去に発表してきた楽曲のインストのノンストップMIX CD『DA CREATOR』を発売。
2010年
1月13日、和物のみを使用したオフィシャルMIX CD『KING of DIGGIN' - DIGGIN' OST - やさぐれファンク 番外地編』を発売。
2011年
5月22日、渋谷に自身のセレクトショップ「DIGOT」をオープンさせる。
2012年
12月5日、アルバム『DIGGIN' FOR BEATS』発売。
2014年
結婚。第一子をもうける[要出典]。
MURO(ムロ、本名:室田隆義、1970年3月25日 - )は、日本のヒップホップMC及びDJ、プロデューサー、デザイナー。
来歴
1970年3月25日、埼玉県川口市に生まれる。1980年代後半〜1990年代初頭、KRUSH POSSE、MICROPHONE PAGERでの活動で、日本語ラップに「改正」を唱え、真の意味でのヒップホップを日本に根付かせるべく活動。MICROPHONE PAGERと前後してソロとしての活動を開始する。1996年発売のMAKI & TAIKIのEP『ON THE 1+2』の楽曲「バスドラ発〜スネア行」に参加。1997年、スペルバウンドよりシングル「DAI SAN DANRAKU 97 PAGE」発売。1998年、自身のレーベル「incredible」を立ち上げる。彼によればラップを捨てたのは左耳がライヴ中に聞こえなくなったからである。その時はショックで泣いたという。治療後にDJ転向を決意したという。
1999年4月21日、トイズファクトリーよりメジャー第一弾となるミニ・アルバム『K.M.W.(King Most Wanted)』を発売。同年12月22日には、アメリカのヒップホップグループ、Diggin' in the Crates Crewのロード・フィネスとA.G.が参加したシングル「THE VINYL ATHLETES」発売。2000年8月23日、初のフルアルバム『PAN RHYTHM :Flight No.11154』を発売。2002年6月12日、K.O.D.Pを大々的にフィーチャーしたアルバム『Sweeeet Baaad A*s Encounter』を発売。
2003年1月22日、ミニアルバム『CHAIN REACTION』を発売。また、DJとしても国内外で活動を広げ、マイアミで行われている「Winter Music Conference」への出演や、アメリカのヒップホップレーベル「STONES THROW」のツアーへの参加などを経て国外でも認知度を深めていく。2005年7月20日、avexよりアルバム『20 Street Years』発売。同年9月20日、フランスのハウスDJ、ディミトリ・フロム・パリとのコラボレーションMIX CD『Super Disco Friends』を発売。
2006年11月、井上三太の漫画『TOKYO TRIBE2』のテレビアニメ化にあたり、そのサウンドトラックを担当。11月22日には日米のラッパー、プロデューサーが集結したMUROプロデュースによるアルバム『TOKYO TRIBE2』を発売。日本からはTWIGYやBIG-Oらが参加。アメリカからはJUST BLAZE、ゴーストフェイス・キラ、デ・ラ・ソウルらが参加。また、同日に自身の集大成となる完全ベスト盤『MUROTIMATE BREAKS & BEATS VOL.1 & VOL.2』を発売。これまでの映像作品をDVDに収録し、自身のラッパーとしてのキャリアを総括した作品。
2007年
8月22日、ニューヨークのグラフィティアーティストLEE QUINONESとのコラボレーションによる初のインストアルバム『EAST RIVER PARK』を発売。
10月、ミラノで行われたNIKE AIRFORCE 1のイベントでのDJ出演を皮切りにロンドン、アムステルダムでのヨーロッパツアーを敢行。
12月、北京で行われたFENDIのファッションショーのアフターパーティでDJを行う。
2008年
1月、安室奈美恵によるヴィダル・サスーンCMタイアップ曲「ROCK STEADY」のプロデュースや、MISIA「Yes Forever」のリミックスなどを手がける。
4月、ニューヨークのブルックリン美術館で行われた村上隆のエキシビションのオープニングイベントにてDJを行う。
2009年
EMI、UNIVERSALなどからコンピレーション・アルバムをリリース。8月26日には自身の軌跡を辿るべくセルフミックスで過去に発表してきた楽曲のインストのノンストップMIX CD『DA CREATOR』を発売。
2010年
1月13日、和物のみを使用したオフィシャルMIX CD『KING of DIGGIN' - DIGGIN' OST - やさぐれファンク 番外地編』を発売。
2011年
5月22日、渋谷に自身のセレクトショップ「DIGOT」をオープンさせる。
2012年
12月5日、アルバム『DIGGIN' FOR BEATS』発売。
2014年
結婚。第一子をもうける[要出典]。