BIOGRAPHY   Vo:Sumio Tamai   G:Akihiko Yamada   B:Kazuya Inui   Ds:Takayoshi Kakuya   大阪発、唯一無二、強力無比のテクニカル・バンドHYDRA       山田 彰彦(G)を中心にHYDRAは結成される。   Vo,Dはかなり流動的であり、音楽性やコンセプトなどもその都度変化してゆく。   派手な衣装、金髪、日本語詞、メイク。   この当時のHYDRAは、トライ&エラーの繰り返しであった。           1993年、Dに角谷 考宣が加入、2本目のDEMO TAPE、“HYDRA2”をリリース。   日本語詞ではあるが、本物のROCKへと近付いてゆく。   幾多のLIVEを繰り返してはいたが、相変わらずVoは流動的であった。   HYDRAにとってのキィパーソンはやはりVoであったのだろう。   1995年に玉井 純夫(Vo)が加入。   5オクターブの声域、卓越した英語能力はバンドの音楽性、コンセプトを180度変化させていった。   4曲を書き下ろし、2曲をリメイクし、加入2ヵ月後にLIVE活動を再開。   加入3ヵ月後にDEMO TAPE“HYDRA3”をリリース。このデモは約1000本出荷された。            10月、山田(G)、大崎(B)、玉井(Vo),角谷(D)による東京、名古屋でのLIVEが行われるが1996年、   諸事情のため大崎がバンドを脱退、HYDRAはベーシストのオーディションに入る。   12月新しいベーシストは西田俊行に決定、COMPILATION ALBUM “KILL’EM ALL FAKIN‘METAL2(ULTIMET NETWORK ,Tokyo)に収録予定の2曲を録音する。   1997年9月、HYDRAは1ST ALBUMの録音を開始する。初のフルレンスCDである。   10月、“KILL‘EM ALL FAKIN’METAL2”発売。HYDRAは“ANGER”で参加する。   それに伴うLIVEが東京、大阪で行われ、大盛況のうちに終わる。            翌年、2月、西田(B)が脱退、HYDRAは1STアルバム用の曲作りと平行してベーシストのオーディションに入る。   同7月、新しいベーシストは乾 和也に決定した。   乾のBAND歴は皆無であり、しかも元はギターリストであったが、入念なリハーサルによりメキメキと頭角を現してゆく。   同11月、HYDRA主催によるイベント、“NIGHT FLYERS HM MADNESS GIG”が大阪難波ROCKETSにて開催され,以降シリーズ企画として継続されてゆく。   1999年4月、1STアルバムのレコーディングが終了。   アートデザインはETERNAL ELYSIUMの岡崎氏が担当した。   同9月、1STアルバムリリース。           “Exhibition of malice”は日本のファンジンのみならず海外のファンジンにも好意的に受け入れられる。   64分10曲のこのアルバムは“悪意,アンチテーゼ”というコンセプトにより製作された。   2001年、2NDアルバムのプリプロダクションが始まるが,方向性,志向の違いにより、角谷(D)が脱退、ドラマーのオーディションが始まった。   2002年8月 武鑓達也(Ex:Blasdead)が正式加入。   2004年、武鑓が脱退。   2006年、角谷 考宣が再加入。SAMURAI SOUND ASSOCIATIONのCOMPILATION ALBUM   「サムライ・メタルVol.2」にHYDRA(Feat.Y.KATAOKA)名義で“Children of Sun Ver.SAMURAI”で参加する。キーボードはAIBの片岡祥典氏が担当した。   2007年、2NDアルバム録音開始。年内に3曲録音終了。初の札幌でのを行う。   2008年12月までに残り7曲の録音を終了させる。   2009年、2NDアルバムの発表予定。
  BIOGRAPHY   Vo:Sumio Tamai   G:Akihiko Yamada   B:Kazuya Inui   Ds:Takayoshi Kakuya   大阪発、唯一無二、強力無比のテクニカル・バンドHYDRA       山田 彰彦(G)を中心にHYDRAは結成される。   Vo,Dはかなり流動的であり、音楽性やコンセプトなどもその都度変化してゆく。   派手な衣装、金髪、日本語詞、メイク。   この当時のHYDRAは、トライ&エラーの繰り返しであった。           1993年、Dに角谷 考宣が加入、2本目のDEMO TAPE、“HYDRA2”をリリース。   日本語詞ではあるが、本物のROCKへと近付いてゆく。   幾多のLIVEを繰り返してはいたが、相変わらずVoは流動的であった。   HYDRAにとってのキィパーソンはやはりVoであったのだろう。   1995年に玉井 純夫(Vo)が加入。   5オクターブの声域、卓越した英語能力はバンドの音楽性、コンセプトを180度変化させていった。   4曲を書き下ろし、2曲をリメイクし、加入2ヵ月後にLIVE活動を再開。   加入3ヵ月後にDEMO TAPE“HYDRA3”をリリース。このデモは約1000本出荷された。            10月、山田(G)、大崎(B)、玉井(Vo),角谷(D)による東京、名古屋でのLIVEが行われるが1996年、   諸事情のため大崎がバンドを脱退、HYDRAはベーシストのオーディションに入る。   12月新しいベーシストは西田俊行に決定、COMPILATION ALBUM “KILL’EM ALL FAKIN‘METAL2(ULTIMET NETWORK ,Tokyo)に収録予定の2曲を録音する。   1997年9月、HYDRAは1ST ALBUMの録音を開始する。初のフルレンスCDである。   10月、“KILL‘EM ALL FAKIN’METAL2”発売。HYDRAは“ANGER”で参加する。   それに伴うLIVEが東京、大阪で行われ、大盛況のうちに終わる。            翌年、2月、西田(B)が脱退、HYDRAは1STアルバム用の曲作りと平行してベーシストのオーディションに入る。   同7月、新しいベーシストは乾 和也に決定した。   乾のBAND歴は皆無であり、しかも元はギターリストであったが、入念なリハーサルによりメキメキと頭角を現してゆく。   同11月、HYDRA主催によるイベント、“NIGHT FLYERS HM MADNESS GIG”が大阪難波ROCKETSにて開催され,以降シリーズ企画として継続されてゆく。   1999年4月、1STアルバムのレコーディングが終了。   アートデザインはETERNAL ELYSIUMの岡崎氏が担当した。   同9月、1STアルバムリリース。           “Exhibition of malice”は日本のファンジンのみならず海外のファンジンにも好意的に受け入れられる。   64分10曲のこのアルバムは“悪意,アンチテーゼ”というコンセプトにより製作された。   2001年、2NDアルバムのプリプロダクションが始まるが,方向性,志向の違いにより、角谷(D)が脱退、ドラマーのオーディションが始まった。   2002年8月 武鑓達也(Ex:Blasdead)が正式加入。   2004年、武鑓が脱退。   2006年、角谷 考宣が再加入。SAMURAI SOUND ASSOCIATIONのCOMPILATION ALBUM   「サムライ・メタルVol.2」にHYDRA(Feat.Y.KATAOKA)名義で“Children of Sun Ver.SAMURAI”で参加する。キーボードはAIBの片岡祥典氏が担当した。   2007年、2NDアルバム録音開始。年内に3曲録音終了。初の札幌でのを行う。   2008年12月までに残り7曲の録音を終了させる。   2009年、2NDアルバムの発表予定。
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