1993年に三善善三と共に結成され、後にQ、山田マン、DJ TOSHIの3名のメンバーで活動開始。
1995年伝説のコンピレーションアルバム『悪名』に『ヤバスギルスキル』を送り込む鮮烈なスタイルを世に送り込み続けているMC's。
数多くの客演やフジロック、ロッキンオンジャパンなどのフェスでも多数オーディエンスをロックして来た実力派。
グループ名の由来は、いつでもどこでもラップしたがる"ラップしたがりや"と、ワックなMCを退治する"ラッパー狩り屋"という言葉の造語からきている。
96年に初の単独名義となるミニアルバム「ヤバスギルスキル Pt2」をリリース。DJ KENSEIのプロデュースの元、アンダーグラウンドヘッズを狂喜乱舞させるドープな「我リヤワールド」を確立。
97年には、MC Qが自ら党首となって立ち上げたレーベル、"走馬党Entertainment"から「言葉の科学」をリリース。98年にはファーストフルアルバム「SUPER HARD」を発表、インディーズながらも約7万枚のセールスを記録した。
2000年、Dragon Ashとの「Deep Impact feat. ラッパ我リヤ」がオリコン総合2位にランクインし、累計セールスはミリオンに至る。
ジャンルの壁を越えたコラボレーションにも積極的に参加し、幅広い層からの人気を得る。
そして同年、満を持して発表した2nd Album「ラッパ我リヤ伝説」は20万枚のセールスを記録し、JAPANESE HIPHOP シーンにおけるハードコアスタイルを世間に知らしめ、その人気を不動のものにした。
03年には、ヒップホップスターとしてのステータスとも言える映画主演を「3on3」にて実現。同名のサントラ盤も手掛けた。更に、年に一度のHIPHOPの祭典「B-Boy Park 2003」のテーマ曲にラッパ我リヤの「NORINA」が大抜擢、当日のステージでも見事にラストを飾った。そして、2001年の「日本改造計画」発表後、約2年振りとなる4thアルバム「RG A.I.R. 4th」を発表。この作品では、その意外性が大きな話題を呼んだILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB)との競演等もあり、バラエティに富んだ作品となっている。
03年9月、名曲「yeahと言え」から最新ポッセ・カット「K.I.D」までを収録したベスト盤「BEST of RG」をリリース。そして、05年8月に5thアルバム「RAPPAGARIYA」、06年10月には6thアルバム「NO HIPHOP NO LIFE 」、7thアルバム「MASTERPIECE」を立て続けにリリース。
メンバー各々のソロアルバム、クルー『走馬党』としてのアルバム発表等を経てついに2017年、衝撃のニュースがやって来た!
ラッパ我リヤ×MS‼
まさにときは満ちた‼
満を持してMS Entertainmentへ移籍。
2000年のコラボ以降、約17年ぶりのKj (Dragon Ash)とのコラボ曲や、MURO、サイプレス上野、KOJIMA(山嵐)、韻踏合組合等との〜熱いタッグマッチも収録される、実に8年ぶりとなる大傑作アルバム「ULTRA HARD」のリリースとなる。
ヤバスギル!、、、聞き逃せない‼
現成员
Mr.Q (ミスター・キュー)
MC兼トラックメイカー。本名:高橋雅治(たかはし まさはる)
結成時からのメンバーで、ラッパ我リヤ率いるヒップホップ集団「走馬党」の党首。ソロ活動、およびMr.RR名義で三善/善三と共にヒップホップグループ「REAL STYLA」としての活動も行う。
「Q」は、高校時代のあだ名。
山田マン (やまだマン)
MC兼トラックメイカー。本名:山田智成(やまだ ともなり)
山田マン名義でのMCとしてのソロ活動の他、MAN山田(マンやまだ)名義でリミキサーとしても活動、Gacktや松田聖子などの楽曲リミックスを担当した。「山田マン」の名付け親は、B-FRESHのBELL。
DJ TOSHI(ディージェイ トシ)
DJ兼トラックメイカー。本名:長田智哉(おさだ としや)
結成時成员
MMC三好 (エムエムシーみよし)
MC。現:三善/善三(みよし・ぜんぞう)。「ラッパガリヤ」の名付け親。以降はソロ活動の他、不定期で「REAL STYLA」としての活動も。
DJ TANAKEN (ディージェイ・タナケン)
DJ。以降はヒップホップグループ「BACKGAMMON」のDJとして活動中。
1993年に三善善三と共に結成され、後にQ、山田マン、DJ TOSHIの3名のメンバーで活動開始。
1995年伝説のコンピレーションアルバム『悪名』に『ヤバスギルスキル』を送り込む鮮烈なスタイルを世に送り込み続けているMC's。
数多くの客演やフジロック、ロッキンオンジャパンなどのフェスでも多数オーディエンスをロックして来た実力派。
グループ名の由来は、いつでもどこでもラップしたがる"ラップしたがりや"と、ワックなMCを退治する"ラッパー狩り屋"という言葉の造語からきている。
96年に初の単独名義となるミニアルバム「ヤバスギルスキル Pt2」をリリース。DJ KENSEIのプロデュースの元、アンダーグラウンドヘッズを狂喜乱舞させるドープな「我リヤワールド」を確立。
97年には、MC Qが自ら党首となって立ち上げたレーベル、"走馬党Entertainment"から「言葉の科学」をリリース。98年にはファーストフルアルバム「SUPER HARD」を発表、インディーズながらも約7万枚のセールスを記録した。
2000年、Dragon Ashとの「Deep Impact feat. ラッパ我リヤ」がオリコン総合2位にランクインし、累計セールスはミリオンに至る。
ジャンルの壁を越えたコラボレーションにも積極的に参加し、幅広い層からの人気を得る。
そして同年、満を持して発表した2nd Album「ラッパ我リヤ伝説」は20万枚のセールスを記録し、JAPANESE HIPHOP シーンにおけるハードコアスタイルを世間に知らしめ、その人気を不動のものにした。
03年には、ヒップホップスターとしてのステータスとも言える映画主演を「3on3」にて実現。同名のサントラ盤も手掛けた。更に、年に一度のHIPHOPの祭典「B-Boy Park 2003」のテーマ曲にラッパ我リヤの「NORINA」が大抜擢、当日のステージでも見事にラストを飾った。そして、2001年の「日本改造計画」発表後、約2年振りとなる4thアルバム「RG A.I.R. 4th」を発表。この作品では、その意外性が大きな話題を呼んだILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB)との競演等もあり、バラエティに富んだ作品となっている。
03年9月、名曲「yeahと言え」から最新ポッセ・カット「K.I.D」までを収録したベスト盤「BEST of RG」をリリース。そして、05年8月に5thアルバム「RAPPAGARIYA」、06年10月には6thアルバム「NO HIPHOP NO LIFE 」、7thアルバム「MASTERPIECE」を立て続けにリリース。
メンバー各々のソロアルバム、クルー『走馬党』としてのアルバム発表等を経てついに2017年、衝撃のニュースがやって来た!
ラッパ我リヤ×MS‼
まさにときは満ちた‼
満を持してMS Entertainmentへ移籍。
2000年のコラボ以降、約17年ぶりのKj (Dragon Ash)とのコラボ曲や、MURO、サイプレス上野、KOJIMA(山嵐)、韻踏合組合等との〜熱いタッグマッチも収録される、実に8年ぶりとなる大傑作アルバム「ULTRA HARD」のリリースとなる。
ヤバスギル!、、、聞き逃せない‼
現成员
Mr.Q (ミスター・キュー)
MC兼トラックメイカー。本名:高橋雅治(たかはし まさはる)
結成時からのメンバーで、ラッパ我リヤ率いるヒップホップ集団「走馬党」の党首。ソロ活動、およびMr.RR名義で三善/善三と共にヒップホップグループ「REAL STYLA」としての活動も行う。
「Q」は、高校時代のあだ名。
山田マン (やまだマン)
MC兼トラックメイカー。本名:山田智成(やまだ ともなり)
山田マン名義でのMCとしてのソロ活動の他、MAN山田(マンやまだ)名義でリミキサーとしても活動、Gacktや松田聖子などの楽曲リミックスを担当した。「山田マン」の名付け親は、B-FRESHのBELL。
DJ TOSHI(ディージェイ トシ)
DJ兼トラックメイカー。本名:長田智哉(おさだ としや)
結成時成员
MMC三好 (エムエムシーみよし)
MC。現:三善/善三(みよし・ぜんぞう)。「ラッパガリヤ」の名付け親。以降はソロ活動の他、不定期で「REAL STYLA」としての活動も。
DJ TANAKEN (ディージェイ・タナケン)
DJ。以降はヒップホップグループ「BACKGAMMON」のDJとして活動中。