スケッチ・ショウ(SKETCH SHOW)は、高橋幸宏と細野晴臣によるエレクトロニカ・ユニット。
概要・歴史
結成のきっかけは、高橋幸宏のソロアルバムのプロデューサーとして細野晴臣を迎えたことから始まり、当時二人ともエレクトロニカに興味を持っていたことから高橋のソロから発展したかたちでユニットの結成となった。なお、メンバー表記が「細野晴臣・高橋幸宏」ではなく、「高橋幸宏・細野晴臣」となっているのは前述の通り、高橋のソロから始まっているためである。
当初"Audio Sponge"を名義として使用する予定だったが、当時狂牛病問題が取り沙汰されていることから、このユニット名でデビューした。2002年8月に開催された石野卓球主催のイベント「WIRE02」にスペシャル・ゲストとして参加。同年9月には、坂本龍一やテイ・トウワも参加したデビュー・アルバム『AUDIO SPONGE』をリリース、12月に行なわれたライブ「WILD SKETCH SHOW」にはコーネリアスもサポートメンバーとして参加した。
アルバム『AUDIO SPONGE』『LOOPHOLE』には盟友・坂本龍一が参加、『tronika』にはコーネリアスがリミックスで2曲参加している。2003年にはバルセロナで行われた「sonar 2003」とロンドンの「CYBERSONICA'03」に出演、インベーダーゲーム25周年記念スペシャルCD『スペースインベーダー大作戦』に参加。2004年の「sonar 2004」では坂本龍一とともにHuman Audio Spongeの名義で登場。同年9月1日発売のTOKIOのアルバム「TOK10」では、プロデューサーとして1曲KinKi Kidsのカバー『フラワー』を編曲している。また同年10月には東京で開催された「sonar sound tokyo 2004」において、スペインと同様にHuman Audio Spongeとして出演した。
2005年以降、SKETCH SHOWとしては徐々に露出が少なくなっていったものの、生楽器を取り込んだエレクトロニカという音楽の方向性は、YMOとして約30年ぶりに新録された「RYDEEN 79/07」でも健在だった。2007年にパシフィコ横浜で行われたHuman Audio Spongeのライブも楽曲の中心はSKETCH SHOWのナンバーであり、彼らのスタイルはYMOの音楽をも内包・融合しつつ、HASYMOの活動へと発展的に継続されつつある。
スケッチ・ショウ(SKETCH SHOW)は、高橋幸宏と細野晴臣によるエレクトロニカ・ユニット。
概要・歴史
結成のきっかけは、高橋幸宏のソロアルバムのプロデューサーとして細野晴臣を迎えたことから始まり、当時二人ともエレクトロニカに興味を持っていたことから高橋のソロから発展したかたちでユニットの結成となった。なお、メンバー表記が「細野晴臣・高橋幸宏」ではなく、「高橋幸宏・細野晴臣」となっているのは前述の通り、高橋のソロから始まっているためである。
当初"Audio Sponge"を名義として使用する予定だったが、当時狂牛病問題が取り沙汰されていることから、このユニット名でデビューした。2002年8月に開催された石野卓球主催のイベント「WIRE02」にスペシャル・ゲストとして参加。同年9月には、坂本龍一やテイ・トウワも参加したデビュー・アルバム『AUDIO SPONGE』をリリース、12月に行なわれたライブ「WILD SKETCH SHOW」にはコーネリアスもサポートメンバーとして参加した。
アルバム『AUDIO SPONGE』『LOOPHOLE』には盟友・坂本龍一が参加、『tronika』にはコーネリアスがリミックスで2曲参加している。2003年にはバルセロナで行われた「sonar 2003」とロンドンの「CYBERSONICA'03」に出演、インベーダーゲーム25周年記念スペシャルCD『スペースインベーダー大作戦』に参加。2004年の「sonar 2004」では坂本龍一とともにHuman Audio Spongeの名義で登場。同年9月1日発売のTOKIOのアルバム「TOK10」では、プロデューサーとして1曲KinKi Kidsのカバー『フラワー』を編曲している。また同年10月には東京で開催された「sonar sound tokyo 2004」において、スペインと同様にHuman Audio Spongeとして出演した。
2005年以降、SKETCH SHOWとしては徐々に露出が少なくなっていったものの、生楽器を取り込んだエレクトロニカという音楽の方向性は、YMOとして約30年ぶりに新録された「RYDEEN 79/07」でも健在だった。2007年にパシフィコ横浜で行われたHuman Audio Spongeのライブも楽曲の中心はSKETCH SHOWのナンバーであり、彼らのスタイルはYMOの音楽をも内包・融合しつつ、HASYMOの活動へと発展的に継続されつつある。