1995年の結成以後、日本、アメリカと2カ国を拠点に活動を開始。 日本支部はK-ONE , AGRI-8 , TOKI , DJ-"R"が、アメリカ支部はSHUNAMI , MICRO がそれぞれ活動を行い、両国間でのコネクションを広げる。日本では主に大阪を拠点として活動を行い、 数々のイベントに参加。着実にその名を広めていき、活動範囲を関西から西日本、そして全国区へと拡大する。 アメリカではSHUNAMI自らレーベルを立ち上げSHUNAMI PRODUCTIONで数々のセッションを行う。 1998年頃からライブ活動と平行に楽曲制作の方にも力を入れ始め、日本とアメリカでのリリースが始まる。 1999年、 SHUNAMI PRODUCTION による初アルバム「CRIBEAGE」が完成。日米両アーティストの参加が話題になり、 地元アメリカのラジオ番組でも大きく取り上げられる。また同年、MYSTIK JOURNEYMEN(USA)のアルバム 「BLACK SANDS OV ETERNIA」に、K-ONEと SHUNAMIが参加。アメリカのアンダーグランドシーンでも日本語ラップが再評価される。 翌年2000年には大阪発のコンピレーションアルバム、「浪速FLAVOR」「PRIVATE MISSION」に参加。半年と言う短い期間に立て続けに発売され話題を呼ぶ(6曲参加)。 2001年、アメリカではSHUNAMIが LIVING LEGENDS の一員でもあるBICASSOの12inch single「THE NEXT」をプロデュース。 日本では 「CHILL SIDE 2」にK-ONE ,AGRI-8が参加。その他にもK-ONEが香港のDJ-TOMMYのアルバムに参加し、日本、韓国、中国のアーティストが夢のコラボレーションを行った。 (曲名『CHOPSTIK HIP HOP』)この他にもBABY VOXと言う韓国でも絶大な人気を誇るR&Bグループの楽曲にもK-ONEが参加し、本場アメリカのHIP HOPアーティストだけではなく、 あらゆる国のHIP HOP、R&Bアーティストとのコラボレーションを行うなど、まさにWORLD WIDEな活動を行ってきた。 2002年、 SHUNAMI PRODUCTION が、アメリカでの8年間の集大成とも言えるアルバム「ALLIANCE」を完成させ帰国。 同時に日本でのリリースを果たし、アメリカ(OAKLAND)と日本の架け橋的役割を果たす。 そしてこの帰国を期に、 LAR-PRODUCTION を設立。今までの日本とアメリカでのそれぞれの経験を生かした楽曲を制作することを誓い、再び6人が揃う。 この時期と同じ頃、大阪HIP HOPシーンの活性化を目指し、個々に活動していたCREWが集まり、 420FAMILY (韻踏合組合、SHINGO西成、BONGA STARS、秘密結社、etc...)を結成。 2002年冬、2003年春には 420FAMILY 名義でコンピレーションアルバムを連続でリリースし、大阪のアンダーグランドシーンが全国的に話題となる。 2003年夏、遂に LARGE PROPHITS 名義で初となるE.P「THE LYRICS」をLAR-PRODUCTIONからリリース。 流行としたバウンスビートではなく、SAMPLINGを重視した音作りが聞く者を魅了し、そのスタイルは他のアーティストとは一線を置くところまで成長する。 2004年5月、にはSINGLE 「TURN IT UP」を同レーベルからリリース。その飾らないスタイルと、土臭いとも言うべきポジティブなメッセージが、他に類を見ないものとして高く評価され、 たちまち巷で話題となる。 2005年、結成10年目の区切りとなるこの年にフルアルバム「UP 2 YOU」を共同レーベル「忍」からリリース。大阪を代表するアーティスト、MISTA O.K.I , SHINGO 西成、 そして茂千代などと言ったメンツをFeaturing に向え地元色の強いアルバムとなり全国でも話題となる。 2006年、Mini ALBUM「WEST SIDE STORY」を発売。生楽器やコーラスなど製作面で新たな進歩を見せ楽曲面でのスキルアップした作品となり違った層からの評判を得る。 そして2007年、前作から1年半と言う年月をかけ遂に NEW ALBUMを完成させた。 今現在も変化しつづけるヒップホップシーンにおいて"正統派"を貫く彼等のスタイルは、リスナーの心に届く事間違い無いであろう。
  1995年の結成以後、日本、アメリカと2カ国を拠点に活動を開始。 日本支部はK-ONE , AGRI-8 , TOKI , DJ-"R"が、アメリカ支部はSHUNAMI , MICRO がそれぞれ活動を行い、両国間でのコネクションを広げる。日本では主に大阪を拠点として活動を行い、 数々のイベントに参加。着実にその名を広めていき、活動範囲を関西から西日本、そして全国区へと拡大する。 アメリカではSHUNAMI自らレーベルを立ち上げSHUNAMI PRODUCTIONで数々のセッションを行う。 1998年頃からライブ活動と平行に楽曲制作の方にも力を入れ始め、日本とアメリカでのリリースが始まる。 1999年、 SHUNAMI PRODUCTION による初アルバム「CRIBEAGE」が完成。日米両アーティストの参加が話題になり、 地元アメリカのラジオ番組でも大きく取り上げられる。また同年、MYSTIK JOURNEYMEN(USA)のアルバム 「BLACK SANDS OV ETERNIA」に、K-ONEと SHUNAMIが参加。アメリカのアンダーグランドシーンでも日本語ラップが再評価される。 翌年2000年には大阪発のコンピレーションアルバム、「浪速FLAVOR」「PRIVATE MISSION」に参加。半年と言う短い期間に立て続けに発売され話題を呼ぶ(6曲参加)。 2001年、アメリカではSHUNAMIが LIVING LEGENDS の一員でもあるBICASSOの12inch single「THE NEXT」をプロデュース。 日本では 「CHILL SIDE 2」にK-ONE ,AGRI-8が参加。その他にもK-ONEが香港のDJ-TOMMYのアルバムに参加し、日本、韓国、中国のアーティストが夢のコラボレーションを行った。 (曲名『CHOPSTIK HIP HOP』)この他にもBABY VOXと言う韓国でも絶大な人気を誇るR&Bグループの楽曲にもK-ONEが参加し、本場アメリカのHIP HOPアーティストだけではなく、 あらゆる国のHIP HOP、R&Bアーティストとのコラボレーションを行うなど、まさにWORLD WIDEな活動を行ってきた。 2002年、 SHUNAMI PRODUCTION が、アメリカでの8年間の集大成とも言えるアルバム「ALLIANCE」を完成させ帰国。 同時に日本でのリリースを果たし、アメリカ(OAKLAND)と日本の架け橋的役割を果たす。 そしてこの帰国を期に、 LAR-PRODUCTION を設立。今までの日本とアメリカでのそれぞれの経験を生かした楽曲を制作することを誓い、再び6人が揃う。 この時期と同じ頃、大阪HIP HOPシーンの活性化を目指し、個々に活動していたCREWが集まり、 420FAMILY (韻踏合組合、SHINGO西成、BONGA STARS、秘密結社、etc...)を結成。 2002年冬、2003年春には 420FAMILY 名義でコンピレーションアルバムを連続でリリースし、大阪のアンダーグランドシーンが全国的に話題となる。 2003年夏、遂に LARGE PROPHITS 名義で初となるE.P「THE LYRICS」をLAR-PRODUCTIONからリリース。 流行としたバウンスビートではなく、SAMPLINGを重視した音作りが聞く者を魅了し、そのスタイルは他のアーティストとは一線を置くところまで成長する。 2004年5月、にはSINGLE 「TURN IT UP」を同レーベルからリリース。その飾らないスタイルと、土臭いとも言うべきポジティブなメッセージが、他に類を見ないものとして高く評価され、 たちまち巷で話題となる。 2005年、結成10年目の区切りとなるこの年にフルアルバム「UP 2 YOU」を共同レーベル「忍」からリリース。大阪を代表するアーティスト、MISTA O.K.I , SHINGO 西成、 そして茂千代などと言ったメンツをFeaturing に向え地元色の強いアルバムとなり全国でも話題となる。 2006年、Mini ALBUM「WEST SIDE STORY」を発売。生楽器やコーラスなど製作面で新たな進歩を見せ楽曲面でのスキルアップした作品となり違った層からの評判を得る。 そして2007年、前作から1年半と言う年月をかけ遂に NEW ALBUMを完成させた。 今現在も変化しつづけるヒップホップシーンにおいて"正統派"を貫く彼等のスタイルは、リスナーの心に届く事間違い無いであろう。
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