成员:
黑田俊介(KURODA shunsuke)
生日:3月18日
星座:双鱼座
身高:192公分
出生地:大阪
血型:O型
小渊健太郎(KOBUCHI kentarou)
生日:3月13日
星座:双鱼座
身高:168公分
出生地:宫崎县
血型:O型
コブクロ (Kobukuro)由小渊健太郎和黑田俊介于98年时组成。两人在大阪的街头演唱而认识,志同道合的小渊和黑田更决定辞去工作,结成コブクロ一同追求音乐理想。コブクロ的团名来自两位成员的姓氏,小渊Kobuchi的Kobu,和黑田Kuroda的Kuro,中译“可苦可乐”。在Indies发展两年多后,2001年时以单曲《YELL/Bell》出道。他们的作品以民谣曲风为主,清新自然的风格为乐坛添上一股不同的风味。Kobukuro首张精选大碟《All Singles Best》,完整地收集了他们自出道以来的所有单曲,包括出道作「YELL」、成名作,由成海璃子和竹野内丰主演的日剧《琉璃之岛》的主题曲「只在这里盛开的花」、「樱」、以及最新作品,速水直道主演的日剧《Regatta》的主题曲「Kimi to Iu Na no Tsubasa」。
年纪一样,来自大阪的黑田俊介和小渊健太郎,却有着天龙地虎般相差悬殊的身高,尽管2人身高差异颇大,却在创作上展现了零距离的音乐默契。来自于平凡的生活族群,因街头演唱而结识组成的2人组合‘可苦可乐’,回想一路走来的音乐路途,他们始终相互扶持彼此激励。渡过苦乐交替伴随的日子,也历经近3年的街头演出和表演活动的磨练,最后终于有机会展露头角,发光发热。正因为他们创作来自于日常生活的感受,才能谱写出真实的人生故事和满溢纯真情感的音乐作品。也因为他们清新自然的曲风,具有抚慰人心的力量,因此两人便被媒体誉为新一代的“治愈系歌手”。 从街头出发站上红白舞台及抢下公信榜冠军,凡人英雄‘可苦可乐’用音乐感动了全日本。
日文简介:
コブクロは、黒田俊介と小渕健太郎の2人から成る日本のフォークデュオ。2001年3月22日にデビュー。レコード会社はワーナーミュージック・ジャパン。所属事務所はミノスケオフィスコブクロであるが、研音と業務提携している。
2人の出会いは、1998年5月。当時、某会社のセールスマンをしていた小渕は関西全営業マンの中で、 トップの成績を取り、何か息抜きはないかと週1回、土曜の夜だけ、地元、堺の商店街で路上ライブをやっていた。 一方、黒田は、その約2〜3年前から堺の商店街で、路上ライブをやっていた。当時、路上でライブをしていた仲間たちは、人通りがなくなると集まって盛り上がっていた。 その中で、お互いの事を知る。
「自分、歌、うまいなぁ」
「自分もめっちゃ、うまいなぁ」
と、まだぎこちない会話を交わしながらお互い、相手を探り合うように、音楽性や、ギターの話ばかりするようになる。
ある時期から、黒田は、ギターケースを抱えては来るが、一曲も歌は歌わないまま、ずっと小渕の前で歌をきいている、という日々が続く。
一方小渕のほうは、パワー全開で6時間位、歌っていたため、翌日はしわがれ声で会社に出勤していた。
1998年9月当時、地元のストリートでは、ミスチル、UNICORNなどのコピーばかりがあふれていた。 そんな中、黒田と小渕があるストリートミュージシャンの唄を聞いていたとき、
黒田:「こんな感じの歌、カッコエエよな」
小渕:「こんな感じやったら、すぐ作れる」
と小渕から黒田にオリジナルの曲提供話が出る。一週間後に出来あがった曲が「桜」。
黒田が打ち明けるように
黒田:「実は一緒にくみたいんや」
小渕:「ぜんぜんOK」
その夜は朝まで音楽について話した。
結成後の土曜日はミナミ、天王寺などへ出て歌うようになる。 その頃2〜3曲オリジナルはあったが、路上ではほとんど歌うことはなく、「オリジナルあるんですか?」とお客様に言われたときだけ歌っていた。 その時の反響に2人は驚く。ただ「○○っぽいですね」と言われないようにするためにはどうすれば良いのか? オリジナルをメインに活動するようになり、お客様も増え出す。につれて警備員との戦いも始まる。
小渕、1999年1月には、約4年間つとめた会社を、音楽をやっていきたいという理由で辞める。 次第にライブスケジュールが詰まり、ストリートライブは不定期にはなったものの、時間があれば、路上にでて、ひっかけ橋や天王寺でファンを確実に増やしつづけた。 その他、ラジオにも出演。大阪だけでなく、近畿全域でその勢力を伸ばしていく。
インディーズ時代からオリジナルは40曲を超える。うち一曲は、OverDriveさんというバンドに提供した曲も。 2000年8月19日、20日には、ZeppOsakaでの単独2Daysライブを終え、また一まわり成長したコブクロ。 12月には、インディーズ最後のアルバム3rdが発売、そしてインディーズ最後の厚生年金会館芸術ホールでの単独2Daysライブも無事終了。 そして、2001年春、ワーナーミュージックジャパンよりメジャーデビューした二人。一人でも多くの人に僕達のメッセージを伝えたい。 そして出した結論がメジャーデビューだった。
コブクロの原点はストリート。生音に関しては誰にも負けないくらいよく知っている。ギターを出して二人で唄えば、そこでもうコブクロが成立するのだ。
ちなみに、「こぶくろ」とは「桜」を作った時の歌詞カードに「こぶちとくろだで『コブクロ』でええか」と書いていたのがそのまま今も続いている。
成员:
黑田俊介(KURODA shunsuke)
生日:3月18日
星座:双鱼座
身高:192公分
出生地:大阪
血型:O型
小渊健太郎(KOBUCHI kentarou)
生日:3月13日
星座:双鱼座
身高:168公分
出生地:宫崎县
血型:O型
コブクロ (Kobukuro)由小渊健太郎和黑田俊介于98年时组成。两人在大阪的街头演唱而认识,志同道合的小渊和黑田更决定辞去工作,结成コブクロ一同追求音乐理想。コブクロ的团名来自两位成员的姓氏,小渊Kobuchi的Kobu,和黑田Kuroda的Kuro,中译“可苦可乐”。在Indies发展两年多后,2001年时以单曲《YELL/Bell》出道。他们的作品以民谣曲风为主,清新自然的风格为乐坛添上一股不同的风味。Kobukuro首张精选大碟《All Singles Best》,完整地收集了他们自出道以来的所有单曲,包括出道作「YELL」、成名作,由成海璃子和竹野内丰主演的日剧《琉璃之岛》的主题曲「只在这里盛开的花」、「樱」、以及最新作品,速水直道主演的日剧《Regatta》的主题曲「Kimi to Iu Na no Tsubasa」。
年纪一样,来自大阪的黑田俊介和小渊健太郎,却有着天龙地虎般相差悬殊的身高,尽管2人身高差异颇大,却在创作上展现了零距离的音乐默契。来自于平凡的生活族群,因街头演唱而结识组成的2人组合‘可苦可乐’,回想一路走来的音乐路途,他们始终相互扶持彼此激励。渡过苦乐交替伴随的日子,也历经近3年的街头演出和表演活动的磨练,最后终于有机会展露头角,发光发热。正因为他们创作来自于日常生活的感受,才能谱写出真实的人生故事和满溢纯真情感的音乐作品。也因为他们清新自然的曲风,具有抚慰人心的力量,因此两人便被媒体誉为新一代的“治愈系歌手”。 从街头出发站上红白舞台及抢下公信榜冠军,凡人英雄‘可苦可乐’用音乐感动了全日本。
日文简介:
コブクロは、黒田俊介と小渕健太郎の2人から成る日本のフォークデュオ。2001年3月22日にデビュー。レコード会社はワーナーミュージック・ジャパン。所属事務所はミノスケオフィスコブクロであるが、研音と業務提携している。
2人の出会いは、1998年5月。当時、某会社のセールスマンをしていた小渕は関西全営業マンの中で、 トップの成績を取り、何か息抜きはないかと週1回、土曜の夜だけ、地元、堺の商店街で路上ライブをやっていた。 一方、黒田は、その約2〜3年前から堺の商店街で、路上ライブをやっていた。当時、路上でライブをしていた仲間たちは、人通りがなくなると集まって盛り上がっていた。 その中で、お互いの事を知る。
「自分、歌、うまいなぁ」
「自分もめっちゃ、うまいなぁ」
と、まだぎこちない会話を交わしながらお互い、相手を探り合うように、音楽性や、ギターの話ばかりするようになる。
ある時期から、黒田は、ギターケースを抱えては来るが、一曲も歌は歌わないまま、ずっと小渕の前で歌をきいている、という日々が続く。
一方小渕のほうは、パワー全開で6時間位、歌っていたため、翌日はしわがれ声で会社に出勤していた。
1998年9月当時、地元のストリートでは、ミスチル、UNICORNなどのコピーばかりがあふれていた。 そんな中、黒田と小渕があるストリートミュージシャンの唄を聞いていたとき、
黒田:「こんな感じの歌、カッコエエよな」
小渕:「こんな感じやったら、すぐ作れる」
と小渕から黒田にオリジナルの曲提供話が出る。一週間後に出来あがった曲が「桜」。
黒田が打ち明けるように
黒田:「実は一緒にくみたいんや」
小渕:「ぜんぜんOK」
その夜は朝まで音楽について話した。
結成後の土曜日はミナミ、天王寺などへ出て歌うようになる。 その頃2〜3曲オリジナルはあったが、路上ではほとんど歌うことはなく、「オリジナルあるんですか?」とお客様に言われたときだけ歌っていた。 その時の反響に2人は驚く。ただ「○○っぽいですね」と言われないようにするためにはどうすれば良いのか? オリジナルをメインに活動するようになり、お客様も増え出す。につれて警備員との戦いも始まる。
小渕、1999年1月には、約4年間つとめた会社を、音楽をやっていきたいという理由で辞める。 次第にライブスケジュールが詰まり、ストリートライブは不定期にはなったものの、時間があれば、路上にでて、ひっかけ橋や天王寺でファンを確実に増やしつづけた。 その他、ラジオにも出演。大阪だけでなく、近畿全域でその勢力を伸ばしていく。
インディーズ時代からオリジナルは40曲を超える。うち一曲は、OverDriveさんというバンドに提供した曲も。 2000年8月19日、20日には、ZeppOsakaでの単独2Daysライブを終え、また一まわり成長したコブクロ。 12月には、インディーズ最後のアルバム3rdが発売、そしてインディーズ最後の厚生年金会館芸術ホールでの単独2Daysライブも無事終了。 そして、2001年春、ワーナーミュージックジャパンよりメジャーデビューした二人。一人でも多くの人に僕達のメッセージを伝えたい。 そして出した結論がメジャーデビューだった。
コブクロの原点はストリート。生音に関しては誰にも負けないくらいよく知っている。ギターを出して二人で唄えば、そこでもうコブクロが成立するのだ。
ちなみに、「こぶくろ」とは「桜」を作った時の歌詞カードに「こぶちとくろだで『コブクロ』でええか」と書いていたのがそのまま今も続いている。